「デザイナーという仕事」と「デザイン評論」の建設的な関係を考える | アドビUX道場 #UXDojo

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エクスペリエンスデザインの基礎知識

デザイナーとデジタル領域との関係は転換点を迎えています。デザイナーの仕事に対する思慮に富んだ評論の欠如が、様々なレベルでデザイナーという職業の障害になっています。

まず、デザイン評論をめぐる現状を知るため、試しに ”テクノロジー 反感” を検索してみましょう。その結果は、主要なオンライン製品への不信を表現する、最新の見出しにあふれているでしょう。

こうした見出しの共通点は、テクノロジーの視点を通して根本的な問題を捉えていることです。より具体的に言えば、言及されている製品の問題の責任は、ビジネスリーダーとエンジニアチームにあると判定しています。

Facebookのマイナス面を指摘したNew York Timesの記事のタイトルは、「Can Facebook Fix Its Own Worst Bug?(Facebookは自身の最悪のバグを修正できるか?)」でした。この見出しは、ソーシャルネットワークの欠点が、書かれたコードに起因するバグであるかのような書き方であり、製品や体験の他の側面には触れていません。

アドビのプリンシパルデザイナーKhoi Vinhは、Interaction18の会場で次のように語りました。「表面上、こうした話の根本は技術的な問題のように見えます。しかし、デザイナーとして、我々はよく知っています。デザイナーなら、少なくとも議論されている問題の半分は、デザインに関係する問題でもあることを理解しているでしょう」

デザイン批評の言説は悲惨な状態にある

ここで、”デザイン 反感” を検索してみましょう。その結果はデジタルデザインへの反感とは無関係で、テクノロジーの問題とみなされている件でのデザインの役割にも触れていないない、ランダムなリンクが並んでいることでしょう。

これは、世間が、デザインのインターネットやデジタル領域への貢献をどう見ているかを良く物語っています。何か問題が起これば、メディアは技術者とビジネスリーダーに答えと責任を求めます。まるで、デザインはまるで関わりが無いか、その領域についてデザイナーは言うべきことが何もない、という信念が内在するかのようです。

「私は楽天家です。多くの議論されている問題は解決するでしょう。その際、デザイナーはデジタル世界との関係の再構築に重要な役割を果たすでしょう」とはVinhの言葉です。「私がこれらの問題に言及した理由は、そうした問題の周囲にある言論を取り上げるためです。私は、これから起きる問題についての議論の中で、デザイナーが果たすことになる役割が気になっています」

AI、ブロックチェーン、ビッグデータなど、革新的な技術の登場が世間の注目を集めています。それらがモバイルやソーシャルネットワークと同じくらい広く使われるようになったとき、いったい何が起こるでしょうか?これらの革新の先にある予期せぬ結果と社会が向き合うとき、どんな反応があるでしょう?その議論の中で、デザイナーが担う役割はあるでしょうか?

デザイナー達が、自身の仕事について話す方法、考える方法をレベルアップしない限り、歴史は繰り返し、新たに生じる課題は、引き続きデザインの問題ではなく、テクノロジーの問題として認識されるでしょう。

「デザインに対する言説が悲惨な状況にある根本的な原因は、我々が、自分たちの仕事とその複雑さについて、適切な背景や文脈を示せていないことにあります」とVinhは言っています。

失敗は悪いことではない。デザインがそれを「良いもの」に変える。

失敗はそれほど悪いことではありません。しかし、この職種では、それを知らず知らずのうちに悪として扱いがちです。失敗の検証を誤って、デザインを表面的に捕らえる誤った認識を強めるデザイナーもいます。

「これまで、デザイナーは大変な努力を重ねて、デザインは単純に見た目を整えるだけのものという考えを乗り越えて、『デザインがそれを機能させる』と言える地点までやってきました」とVinhは言います。

「デザイナーはもう一歩先に進む必要があります。デザインが『良いもの』をつくる、つまり、見た目が良くて、機能して、ユーザーやコミュニティーや世界のためになると言える地点です」

デザイナーは、過去数十年に渡り、より高い信頼を得ようとしてきました。次のステージに立つには、技能としてのデザインに厳密さを、そして職業としてのデザイナーに説明責任を持ち込む必要があります。

「私は、これからの革新に関する議論の中心にデザインがあって欲しいと思います。ソリューションの一部であるはずのデザインが議論の中で無視される状況は望ましくありません」とVinhは語りました。

出来映えが重視されているデザインという職業

現在のデザインに関する議論の中心的な存在は、その出来映えです。デザイナーは制作物を詳細に掘り下げて考えることは大好きですが、その背景にあるアイデアに対しては一般的に無関心で無気力です。

より大きな努力が向けられるのは、ハンバーガーメニューを採用すべきかどうかという判断で、公共福祉に意味のある貢献をするかという問いへの答えを見つけることではありません。

「我々は、『それが機能するか?』といった議論は容易にこなせますが、『それが良いことか?』という議論はあまり得意ではありません」とVinhは指摘します。

デザインしたものを善と言えるかどうかは簡単に答えられる問いではありません。そして、それが、その問いが重要である理由の一部です。デザイナーの多くは、デザインの質的な側面の議論を嫌がる傾向があります。悪い評価を受けたり、”見た目を整えるだけの人達”とレッテル貼りされるリスクを嫌がるためです。

この点についてVinhは次のように言っています。「ですが、もし我々が数値化できるような結果についてだけ考え続けるなら、結果的に自分達を縛ることになるでしょう」

「もし、『それは善を成すか?』という問いが十分に議論されないことが不思議なら、デザインの議論への参加者に目を向けるべきです。デザインについて語っているのは、ほぼ例外なくデザイナーを職業としている私自身のような人達です」

独立した批評家の存在は、価値ある批評に不可欠

デザイン評論は重要です。なぜならデザイン業界がそれを求めているからです。

デザイナーが他のデザイナーのために書くことは、コミュニティとして制作を前進させようとしていることを示すものであり、本来良いことです。しかし、それは十分なものではありません。

「デザイナーがデザインについて語るときは、クライアントや他のデザイナーに配慮しなければなりません。コミュニティは実に小さなもので、完全に自由な状態で重要なことを語ることは決してできないでしょう」とVinhは言います。

「我々には、デザインの意味、そしてそれが善かどうかについて、批評的に考えることを仕事にする、知識の豊かな専門家が必要です。それは我々の業界では聞きなれないため、現実的に聞こえないでしょう。しかし、他の主要な芸術形式には存在しています」

Vinhは何人かの専門の評論家に言及しました。

上で挙げた例で重要な点は、どちらも評論している人たちが作る職業には就いていないという点です。もし彼らが製作者の側だったなら、視聴者は彼らの言葉をそれほど真剣には聞かなかったでしょう。

残念ながら、デザイン業界に独立した職業としての評論家が登場することはまだ起こりそうにありません。当面、デザインされたコンテンツの消費者は、それをデザインした人の考えを自力で見つけ出さなければなりません。デザイナーは、そうした人々の置かれた状況や意図や先入観を理解することが必要です。

評論は希望でもある

人によっては、とにかく良い仕事をして制作の質を上げることが最善の働き方だと考えているようです。これは、仕事に対する評論というものは、間違い探しだと考えているためかもしれません。

最後にVinhの言葉です。「私は、よく考え抜かれた評論は楽観的なものになると信じています。なぜなら、評論とは、より良い世界を考え、そこにたどり着く道を見つけようとする人のためのものだからです」

この記事はThinking Critically About Design and Design Criticism(著者:Lindsay Munro)の抄訳です