デザイナーは誰のためにデザインしている?への倫理的な回答 | アドビUX道場 #UXDojo

by akihiro kamijo

Posted on 01-28-2019

連載

エクスペリエンスデザインの基礎知識

私は、20年間近くクライアントにサービスを提供しています。いくつか学ぶには十分な期間でしょう。そのひとつは、顧客 (上司も含む) は、デザイナーと契約し、共に働くことがどんなものなのか、実際に一緒に働くことに同意する前に理解する必要があるというものです。「報酬を払ってるんだから言うとおりにしてくれ」という一言で終わるような議論をあまりに多く経験したことから、私は、契約前にどの顧客にも伝えるちょっとした言葉を持っています。

「あなたは我々の雇い主かもしれません。でも、我々はあなたのために働くのではありません。我々は解決が必要とされていて、解決するに値する問題を解決するためにここにいます。その問題に直面している人々が我々の実際の仕事相手であり、自力で問題を解決できない人々の手助けが我々の仕事です。そして、彼らを危険にさらすようなデザインはどんな状況でも行いません」

威勢良すぎるでしょうか? これを聞いた後、先に進むのを拒んだ人は僅かです。期待する以上に、顧客からの返答は、「すばらしい。それこそ私が望むものだ」というものでした。もちろん、私はもっと丁寧な言い回しをしています。私は相手に合わせる人間です。それに、これを聞いて契約を拒んだ人は、私に便宜を図ってくれたことになります。そういった顧客の仕事は、後々悪夢になっていたでしょうから。

そして、ここが大事なポイントです。私は、上の言葉を一語一句、完全に信じています。誰かが私をデザイナーとして雇う場合、私はその人のために働きません。私の技術をサービスとして提供するかもしれませんが、その技術の使い方を決める権利を与えてはいません。

そもそも、雇用する側のレベルに合わせてデザインされたら困るでしょう。デザイナーのレベルでデザインするということは、糸を引くのは雇用主ではなく私だということです。それに、雇用主はサービスを提供する人を雇うのであって、召使を雇うわけではありません。これらは異なる事柄です。私は、指示に従うためにいるのではなく、問題を解決したり合意した目標を達成するために存在するのです。では、デザイナーは実際に誰のために仕事をしているのでしょうか。

デザインの倫理とヒポクラテスの誓い

ここ数年にちょっとした技を学びました。他の職業では特定の状況においてどのように行動するのかを観察し、それをデザイナーの立場に置き換えることです。デザイナーとしては少し距離を置いた場所から、既に似たような問題を解決した人々に学ぶことができます。

そういえば、食事に出かけた際に、私たち兄弟がマナーを守れなかったとき母はこう言ったものでした。「向こうのテーブルを見てごらんなさい。食べ物を投げ合ったりしていないでしょう? 親が恥をかくことはないわね。子供はきっとお医者様になるわよ」。私がよく医師の話題を書くのはこのせいかもしれません。

医師は、働き始める前に誓いを立てます。これが、すべての医師が倫理的にふるまう保証になるわけではありません。しかし、誓いを立てた以上、正しくない行為があったら言い逃れることはできません。

個人開業する人もいれば、国境なき医師団に参加する人もいます。大病院で高額保険の患者を診る人もいれば、無料検診に従事する人もいるでしょう。多くの医師は、こうした選択肢を組み合わせながら医師業を続けています。

ですが、働く場所がどこであっても、誓いは働き方を律します。勤務先に最新式の設備が整っていない等の制約に直面するかもしれません。それでも、医師の仕事は規範で定義される仕事を全うすることです。

ここが、比較が有効になる部分であることに注目しましょう。ある医師が、怪しげな病院経営者に出くわした場面を想像してください。患者に不要な検査を受けるように言い渡したり、関係のある医薬品メーカーの薬を処方したり、利用してもいない個室に対して請求して、病院を経営しようとしている相手です。

この状況は、お金に余裕のない層に依存性の高い商品を売りつけたり、自分たちには不要なユーザーデータを後々転売できるように取得するように命令する上司の下で働くことと、あまり違っていません。

違いは、医師がそういったことを命令された場合に、誓いの方が給与支払い者の名前よりも先に来るというところです。医師が倫理的に誤った行為を犯し、それが見つかった場合には、医師免許をはく奪されることになるでしょう。

その一方で、いかがわしい上司のために非倫理的な行為をしたデザイナーは昇給されるかもしれません。その上司は、怪しい業務でも頼める信頼できる人が見つかったと思うでしょう。

デザイナーには、誓いそのものが存在しません。頼ることができる倫理的な枠組みが存在しないのです。行っていることが誤っている、少なくとも良いことでないかもしれないと感じる機会はあっても、キャリアのいかなる時点においても、不正な行為を働かないと実際に署名したり、胸に手を当てて宣誓することはありません。

「でも、医師の場合は、誤った行為をすれば人が死ぬことだってあります」という声が聞こえます。

デザインだって人を殺すかもしれない

2017年、イギリス王立公衆衛生協会(Royal Society of Public Health)は、Young Health Movementと共同で、若年層を対象としたソーシャルメディアと精神衛生に関する研究論文を発表しました。初めから終わりまで読む価値がある文献ですが、ここでの議論に関係のある部分だけを紹介します。20年に渡る減少の後、2010年から2015年には、再び10代の自殺率が高まっています。不安、うつ病、醜形恐怖症なども同様の傾向です。

「ソーシャルメディアは、たばこやアルコールよりも依存性が高いと指摘されてきました。今日では、若者の生活に深く根付いており、彼らの精神衛生に関わる諸問題を語る際には、もはや無視することができないものとなっています」 シャーリー・クレーマー(王立公衆衛生協会会長)

まだ、これらの状況とソーシャルメディアの決定的な関係性は(学問の厳密さに見合うレベルで)明らかにされてはいませんが、非常に強い論証が提示されています。幸運にも、私は学者ではありませんので、次のように述べることに何ら問題はありません。「私たちの仕事は、人殺しに加担しています」。“deaths by social media(ソーシャルメディアによる死)” を検索すると、必要ないほどの数の結果が表示されるでしょう。

オンラインに向けてデザインしてきた我々は、自分たちの仕事が及ぼす影響を理解する必要があります。もはやピクセルを並べた作品を公開しているだけではありません。人々の生活に関わり、人間関係に影響を与え、思いやりと嫌悪の言葉を拡散し、精神衛生に影響を及ぼす、そうした複雑な体系の構築に関わっているのです。良い仕事をすれば我々は人々の生活を改善することができます。そうでなければ、人が死ぬこともあります。

つまり、医療従事者との比較は意味をなすのです。

差異と一貫性の欠如を讃える(そしてデザインする)

今夜、地下鉄で帰宅途中に起きた出来事です。オフィスにヘッドホンを置き忘れてきたことに気づきました。つまりは、人の会話を耳にせざるをえませんでした。2人の技術者がサーバーの設定方法について議論しているのが聞こえました。別の2人がデータ収集について議論しているのも聞こえました。私の隣の人はコーディングに没頭していました。混みあう地下鉄の社内で、15インチのノートブックを使っていました。

私の停車駅に着くと、何らかの原因によりドアが閉じたままでした。皆が運転士が扉を一つずつ開けるのを我慢して待っていました。もちろん時間がかかりました。運転士が対応している間、サーバーの設定について話し合っていた2人の技術者は、サンフランシスコの公共交通機関の質の悪さに話題を変えていました(彼らのは認識は間違っていません)。

1人は街全体の効率の悪さに触れて、地下鉄のどの駅も異なることを指摘しました。地下にあったり、地上にあったり、プラットホームがあったりなかったり、通りに合わせて階段の高さが違ったり、左側の扉が開く駅があったり右側だったり。もう1人は、それが全部標準化されれば、確かに物事はより円滑で効率的に機能するだろうと答えていました。

彼が間違っているとは思いません。

すべての地下鉄の駅が同じ造りであれば、社会はもっと効率的に回わるでしょう。すべての道路の幅が一定であれば、皆が同じように行動することに賛同すれば、同じ規則に従って、同じものを食べれば効率的です。皆が同じように投票した場合はどうでしょうか?同じ言語を話した場合は?

まだ駆け出しのデザイナーだった頃、良いデザインはシンプルにすることだと教えられました。無駄を取り除き、簡潔にして、運用をできる限り効率的にし、テンプレートの数を可能な限り減らすようにと。我々が行うすべてのことに、同じ理屈を当てはめられるでしょう。私の街は、すべてがシンプルになったとき、より効率的に機能するかもしれません。

でも、それは私が住みたい街ではありません。

私の街はごたごたして落ち着きません。国もごちゃごちゃです。インターネットだってそうです。でも、いずれを取っても、欲しいものは効率性よりも、違いに対する賞賛です。地下鉄の駅が同じように作られていないこと、曲がりくねった通り、多様な意見は讃えられるべきです。自分が嫌いなものを好む人がいること、他の人が嫌いなものを自分が好むかもしれないことを知るべきです。

それは素晴らしいことです。それが、この街や、他のすべての都市が素敵な理由です。すべての素晴らしい人々が、中には全く理解できない人がいるとしても、オンラインで実世界と同じように非効率的に行動します。そして、それは称賛すべきことです。

デザイナーを目指して得たこの素晴らしい職業は、これらのすべての人をサポートする仕事です。素晴らしい声をひとつたりとも取りこぼさないよう努力しましょう。才気ある耳障りな声をバグとして扱い、優れた意見として聞き入れない相手には立ち向かう必要があります。

デザイナーは社会を怪物から守ることができる存在です。

社会はシリコンバレーのために存在するのではありません。シリコンバレーが社会に貢献するべきです。我々の力は大きく、数は多く、そして驚くほど非効率的です。皆が同じことを望んでいるわけではありません。ただ、もし同じ望みがあるとするなら、それは目標へと前進することでしょう。

この記事はWho Do Designers Really Work For(著者:Mike Monteiro)の抄訳です

Topics: クリエイティブ, UI/UX & Web, UI / Web デザイン

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