デザイナーはなぜ結末を見落とすのか?結末をデザインするべき理由は? | アドビUX道場 #UXDojo

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エクスペリエンスデザインの基礎知識

ずっと前、まだウェブやアプリが存在していなかった頃、私はポスター、広告、チラシ、レコードのカバーなどをデザインしていました。制作プロセスには、何段階かの説明会と、それに付随するある程度のリサーチがありました。調査の期間です。その後は、スケッチ、モックアップ、アートワーク、プロダクションと続きます。大枠は他の制作関連の分野と同様です。このプロセスの一部は、デジタル化により変わりました。大きな影響があった点の中には、制作が終了した時のデザイナーの体験が含まれます。

人は「結末」を好む生き物です。物事を定義するのに役立つからです。心理学の分野では、観察から導かれた、人が体験することを好む2種類の結末が見つかっています。ひとつは、速やかな収束を求めること (切迫性) で、もうひとつは、結末の状態が可能な限り長く保たれること (永続性) です。

永続する結末からアジャイルスプリントへの変化

以前の私にとって、デザインの仕事といえば印刷用の制作でした。その「結末」は分かりやすく現実味があるものでした。制作物を印刷業者に渡すのです。印刷の結果を待つイライラの24時間の後は、出来上がったものをどうすることもできず、ただ眺めるだけでした。それは一度限りの作業でした。ひとつの結果と結論だけが残りました。「結末」は瞬く間に終わりを迎え、それは次の状態への移行というより、崖から落下するようなものでした。その「結末」は永続的でした。

それからの20年は、初期のWebサイト、モバイル、サービスデザイン、アプリデザイン、そしてあらゆる種類の製品開発の道を辿りました。プロセスは明らかに変容し、それと共に結末の体験も変わりました。クリエイティブのプロセスは、今ではデジタル体験に一般的に適合しています。インタラクティブな企画に対する案を示すには、奥行きや時間経過やデータによるインタラクティブな側面を加えた体験を作成します。静的な2次元の紙を使った方法は、いまや遠い過去です。

ジョーの著書『Ends』では、デザイナーがなぜ結末を見落とし、なぜ本当は見落とすべきではないのかを探っている

これと呼応して起きたのが、チームと働き方の変化です。視野の狭い独り善がりのアートディレクターはいなくなり、代わりにアジャイルスプリントとコーチが導入されました。デザインツールもそれに対応して成熟しました。デザインは今や、ユーザー、クライアント、チームメンバーといった関係者と簡単に共有できます。フィードバックは、アイトラッキングにより客観的に評価され、リアルタイムで実装されるようになりました。

デザインは、段階的に世界に送り出されます。しっかりと具体化された企画でさえも、ユーザーに粗さや短所を大目に見てもらえるよう、何年もの間ベータ版に留まるかもしれません。

そうです。この変化により、「結末」の瞬間のストレスは緩和されてきました。今では結末はスムーズで安心感があり、リスクは大幅に低減されています。

デジタル体験における永続性の欠如

毎度のように、会議室に社員が集まったInstagramの投稿にポストイットの付箋や「今日はよくやった」という称賛のコメントがついているのを見るたびに、クリエイティブな仕事における永続性の欠如について考えさせられます。一時的に付箋に書き留められた作業の成果は、チーム内の担当者に渡されてPowerPoint等にまとめられ、サーバーに保管されます。そのままプロジェクトの名前を忘れてしまうほどの時間が過ぎることも珍しくはありません。

デザインが現実的になるにつれ、分割されて、反復して行われるようになりました。バージョンは、A/Bテストの波に洗い流される砂のように細分化し、スプリントミーティングで議論されて、リリースごとに更新されます。

クリエイティブプロセスの結末は、確かに感情の面からは緩和されました。しかし、今や結果に永続性はありません。

すべての顧客が同じ体験をするわけではありません。テストは、Webサイト・アプリ・ゲーム・その他のデジタル体験の変化を促します。定期的なソフトウェアの更新があるたびに、デザインの基盤の下にある地盤のようなものが変化します。すべての顧客体験はユニークでつかの間です。同時に、私たちの文化の変遷を表す特異な要素の証拠を消し去っています。これらの新しいデジタルアセットのアーカイブは困難です。スタンフォード大学のデジタル保存主義者であるデビッド・ローゼンタールは、旧来のプラットフォームのアーカイブしやすさについて次のように述べています。「世界の記憶に使用される媒体としての紙にはある大きな利点がある。それは、悪意なき無関心をうまく乗り切れるという点だ」

想像してみてください。オンラインゲーム、Webサイト、アプリの環境を存続させるための取り組みを。生き残るどころか、デジタルの記憶は体験された瞬間に終焉し、数年後に体験することは不可能です。では、この永続性の欠如は、あなたのクリエイティブなデジタル世界とのかかわりにとって何を意味するのでしょうか?

壊れた物語

他のクリエイティブな表現手段は、時間の影響を乗り切っています。説話や社会の物語的な構造は、何千年もの間、私たちの生活に意味を与えてきました。人は原始時代から焚火を囲んで物語を語ってきたのです。そうした物語の終わりは大きな価値を持っていました。それは物語の残りの部分に意味を与え、世界を違った手段で見るよう人々を動機づけてきたのです。

エリザベス・マッカーサーは、著書のExtravagant Narrativesの中で次のように述べています。「物語の終幕は、際限なく逸脱する物語に脅かされる、道徳や社会秩序を維持しようと試みます」

インタラクティブなストーリーは、昔ながらの一直線に進む体験よりも複雑です。最も古い映画を鑑賞することは今でも可能ですが、5年前に作成したサイトはもう見ることができないかもしれません。3年前のアプリは、今では薄っぺらなものに見えているでしょう。

それでも、世界に印を残せないたという自己への哀れみに飲み込まれてはなりません。さらに言うなら、結末への関心の欠如が私たちの個人的な責任であるかのように感じてはいけません。それは間違いです。実際には、知覚された結末は、何世紀にもわたって消費者社会のいたるところで損なわれてきたのです。工場の能力を最大限に満たそうとする産業革命が起こした波は、消費者体験の結末に大きな影響を与えました。新しいマーケティング手法の登場は、消費をアイデンティティと結びつけ、消費者体験を加速しました。より最近では、感情面や個人的な支持(いいね!など)を通じた加速が行われています。同時に起きていたのは、無駄との関係の衰退でした。消費者体験の結末における、個人的な責任との距離の拡大です。

こうした動向が重なり合って、導入と結末の繋がりは崩れてきました。それに伴い、消費の不健全さは増大しました。あらゆる事業分野において、悪い結末の副次作用がみられます。大気汚染の問題は、その行く先が分かっているにも関わらず、物語を終わらせることができない人類の無能さを代表する一例です。デジタルの世界においては、消費者に対して、コンテンツを作成し共有するよう促されてきましたが、その一方で、コンテンツを削除するツールは与えられていません。個人の関係を弱体化させているとしてもです。

結末をデザインする

では、デザイナーとして、結末を取り戻すために何かできるのでしょうか?現実を見れば、結末を遠ざけるのに一役買ってきたのは私たちの業界です。消費者をもっと獲得して維持するようクライアントから促されてきたのです。それが、この流れを変える鍵にデザイナーがなれると私が考えている理由です。すべての消費者のために結末をデザインするのです。

手始めに行えそうなのは、その結末がどのようなものかを想像することでしょう。製品やサービスと関わった後に残る影響は何でしょうか?私たちは多くの時間を費やして、初めてのユーザーの体験や、最も一般的だと思われるタスクフローの体験など、消費者体験がどのようなものになるかを想像しています。ですが、製品やサービスの体験から離れてしまった消費者が、どのような体験を得るのかを考えることはほとんどありません。

私は、「Ends」ワークショップでこの演習を行っています。その際、私は参加者に対して、サービス体験後のペルソナを2つ作るように勧めています(どちらも、そのサービスから既に去った人物です)。片方は、私たちがその作成に責任のある、理想的でやや型にはまった体験を持つペルソナです。他方は真逆で、標準的な規範を疑うペルソナです。忘れ去られてきた人々です。

その後で、参加者にこれらの人々の生活の中に残された影響を想像してもらいます。利用を止めた会社に対してどのように感じるだろうか?関わりを持ったことで生活にどういった要素が残っているか?友人に対して何を話すのか?何か行動を起こすのか?無機質なセールスメールを今でも受信しているか?

その上で、このような体験を「望ましい」と「回避可能」のカテゴリに分け、サービスの利用を止めたという体験が、どのようにマイナス面を強めたりプラス面を強化するかを話し合います。消費者ライフサイクルの結末で、別のストーリーを語ることが目的です。

私は、皆さんに、その後の影響を受けている人のことを考えるように勧めたいと思います。結末を迎えた瞬間より後のことです。デザイナーは物語づくりに長けています。初めての顧客のために、魅力的で意義のある豊かな体験を構築する能力があります。しかし、これまでは、去る顧客の体験に対しては、同じような注意を提供してきませんでした。物語の結末を語りましょう。私たちは自身のあり方を見直して、責任範囲を拡大しなければなりません。結末のなくなった社会の中で忘れ去られた多くの消費者のように、デザイナーの声が不適合なものとして消え去る前に。

この記事はWhy You Should Design an Ending for Your Experience(著者:Joe Macleod)の抄訳です