タイポグラフィとタイプフェイスデザインの国際会議「ATypI 2019 Tokyo」レポート#AdobeFonts
世界的なタイプフェイスの活用と現代の潮流に触れる濃密な4日間
タイポグラフィとタイプフェイスデザインについて世界最先端の情報に触れることができる国際タイポグラフィカンファレンス「ATypI 2019 Tokyo」が、日本科学未来館を主な会場として2019年9月4日から7日まで開催されました。本記事では、会場風景と講演を紹介した後に、海外からATypI 2019 Tokyoに合わせて来日したアドビフォントチームのインタビューをレポートします。
カンファレンスの主催団体である、国際的な非営利組織「ATypI」(エイ・タイプ・アイ、Associtation Typographique Internationale、非営利団体国際タイポグラフィ協会)は、1957年に設立され、タイポグラフィとタイプフェイスデザインに特化した協会として最も古い歴史を持ちます。
今回紹介するのは、毎年異なる世界の都市で開催される秋の会議。タイプデザインおよびタイポグラフィの歴史、文化、伝統を取り上げ、タイプフェイスやフォントにかかわる業界のさらなる成長を目的に活動を続けています。
今年は「Rediscover – 変化と伝統の都市、東京でタイポグラフィを再発見しよう!」というテーマ。講演セッションやワークショップ、展示、レセプションパーティーが行われました。会場内は、日本人だけでなく世界各国から参加者が集い、さまざまな言語が飛び交う国際会議ならではの雰囲気に満ち溢れていました。
会場内ではタイプフェイスや各国の文字に関する展示も多数公開されていました
戦後日本の二人のタイポグラファとモダニズム
タイポグラフィにかかわる各界のキーパーソンによる講演が連日続く中、この日登壇したのはアドビ日本語タイポグラフィシニアマネージャーであり、タイポグラフィ学会会長の山本太郎。
セッションでは、第二次世界大戦後の日本のタイポグラフィとブックデザインの領域で活躍した二人のタイポグラファの功績が紹介されました。その二人とは、20世紀のモダニズムの美意識を日本のタイポグラフィにもたらした、清原悦志とヘルムート・シュミットです。東京開催ということもあって、この二人をぜひ紹介しなければならないという意気込みで望んだそうです。
まずはグラフィックデザイナーでありブックデザイナーである清原悦志が、70年代に手掛けた『思潮』という文学誌を紹介。当時の文字組版の技術を背景に、斬新な文字組みが各所に盛り込まれています。例えば、あえて天のマージンを狭くして重心を高くすることで緊張感を維持するレイアウトは、伝統的な日本語の縦組みのレイアウトにはない新しいものでした。60年代以降、写真植字とオフセット印刷の普及によって金属活字の制約から開放されて、文字と図形が融合していく初期の過程におけるデザインの一例といえます。
タイポグラフィは常に新しい技術を利用することでその表現力を拡張していきました。しかし、それだけではなく、新しい視覚的な体験を与えるタイポグラフィを試みる先進的なデザイナーも不可欠でした。清原悦志はその先駆者であり、機能的で実用的なタイポグラフィとデザインの実践と、超現実主義者やダダイストにつながるモダニズムの造形芸術の実践を同時に成し遂げたのではないかと、山本は聴衆に語りかけました。
もうひとりの重要なタイポグラファとして取り上げたのが、ヘルムート・シュミットです。シュミットは1977年から大阪でデザイナーとして活動を始めました。はじめに、日本の作曲家、黛敏郎をインタビューした経験から、彼の代表曲『涅槃交響曲』をタイポグラフィックに表現した作品を紹介。この交響曲は、日本の仏教の読経の音響を西洋音楽の手法を用いて演奏で表現した楽曲です。それにインスパイアされてヘルムート・シュミットは、お経のテキストを活版印刷で再現しました。そこでは、文字をかすれさせたりインクを垂らしたりなど、大胆な表現が取り入れられました。その他のヘルムート・シュミットの代表的な作品も紹介して、その独自性と日本のタイポグラフィにおける重要性について語りました。
山本は最後に「ふたりはタイポグラフィを貴重な美的体験に昇華することに成功し、タイポグラフィとブックデザインがいかに人間にとって素晴らしいものであるかを示した。今後もふたりに続く優れたタイポグラファが出てくることを切望する」と締めくくりました。
今日のタイポグラフィ、タイプフェイスデザイン、フォント技術の幅広いテーマについて語る
上に紹介した他にも、ATypI Tokyo 2019では、アドビでタイプフェイスデザインやフォント開発、またテキスト処理関連の技術にかかわる多くのメンバーが、ワークショップや講演を行いました。初日のワークショップでは、アドビの日本語タイポグラフィチームで日本語フォントを開発している服部正貴(シニアフォントディベロッパー)と吉田大成(アシスタントデザイナー)がSVGグリフを使ってOpenTypeフォントにカラー絵文字を追加する方法を半日にわたって説明しました。ケン ランディ(シニアコンピュータサイエンティスト)は後でも紹介しますが、日本語フォントに含まれる元号の合字の歴史について、また石岡由紀(プリンシパルプロダクトマネージャー)とナット マカリー(シニアエンジニアリングマネージャー)は未来の日本語テキストレイアウトについての展望を語り、ヴィノッド バラクリシュナン(シニアコンピュータサイエンティスト)はType 1フォント形式の歴史をたどり、ワークショップだけでなく講演にも登場した服部正貴はCJKバリアブルフォントの課題について熱く語りました。西塚涼子(チーフタイプデザイナー)は手書きの文字の特質をいかにタイプフェイスデザインに活かすかについて語り、独自の新しいタイプフェイスデザインを紹介しました。
アドビUSフォントチームのDanとKenへのインタビュー
AtypI 2019 Tokyoに合わせて、アドビUSのフォントチームから、アドビタイプ開発シニアマネージャーで、バリアブルフォントやPhotoshop、Illustratorでも使用できるカラーフォントの作成などに携わっているダン ラティガン(Dan Rhatigan)と、シニアコンピュータサイエンティストでCJK言語(中国語、日本語、韓国語)での情報処理を専門とし、フォント開発とプログラミングに取り組んでいるケン ランディ(Ken Lunde)の2人が来日しました。
ケンは新元号「令和」の合字をUnicodeに加える仕事にも携り、今回「日本の元号合字の歴史」セッションに登壇しています。
世界中のコンピュータに影響を与える仕事内容だけあって、2人とも計画的に丁寧な仕事をこなす人柄を感じました。
ケン ランディ(写真左)と、ダン ラティガン(写真右)
―2019年5月1日から令和という新しい元号が始まったことで、Unicode上に令和の合字を加える仕事に携わられたことに関して、お話を伺えたらと思います。まずはどのようにしてフォントの仕事に関わるようになりましたか?
Dan:グラフィックデザインやタイポグラフィに関する仕事をする仕事の中で、さまざまな書体を生み出してきました。他の方々がいかにうまく書体を作ることが出来るかのお手伝いをしています。
Ken:私個人として、日本語に強く興味があり、特に日本語を書く際のありかたに興味を持っていたからです。
―今回のプロジェクトに参加するきっかけを聴かせてください。
Ken:令和の文字を追加することを、プロジェクトという見方ではなく、時代が新しくなったので新しい要件を実装しなければいけないという見方で参加しました。私はアドビ内のUnicodeのチームの一員のため、取り組みとしてはUnicodeに関してのリクエストをいただいて、コードポイントのレコメンデーションを行いました。それからコードポイントを確保して、フォントを入れられるように仕様をアップデートしました。ただ、フォントのアップデートは4月1日まではできませんでした。
―それは元号が公開されていないからですか?
Ken:そうですね。少なくともフォント業界の人々はどんな元号になるのかわからなかったです。私たちのチームとしての仕事は、仕様の作成と標準化があって、まずはソフトウェアの中で機能して動作するための知見を業界で共有していくことでした。そして、Unicodeのコードチャート上で表示できるようにフォントのアップデートをすぐに行えるようにしました。追加された令和のグリフはアドビの日本のオフィスにいるチーフタイプデザイナーの西塚涼子がデザインしました。そのタイプフェイスデザインには小塚明朝を使っています。
―作業で難しかったことはありますか?
Dan:元号の合字を入れるスペースを空けておいて、元号が発表されたらすぐにその合字をデザインして、空いているところにはめ込む必要があります。テストフォントとして仮のグリフを入れておいて、その後、本物ができたらそれと入れ替えることにしました。
Ken:グリフを追加することだけだったので、そんなに大きな問題はありませんでした。難しかったのはどちらかというと作業よりもコミュニケーションの部分でした。アプリケーションの開発チームなどに、いかにきちんと情報を共有するかが難しかったですね。4月1日に新元号が発表される前に私たちができたことは、元号が入ると思われる場所にマッピングをして、フォントとして動作するかの確認テストをすることでした。
―令和が発表されてから仮の文字を入れ替えるまでの期間は短かったのですか?
Ken:4月1日に発表になってから、グリフの設計が始まります。とにかく迅速にデザインを仕上げました。カリフォルニアに住んでいるので、その時差を利用して4月1日中に仕様をリリースすることができました。その10日以内に、小塚明朝、小塚ゴシック、源ノ角ゴシックに関してはアップデートすることができました。4月10日のフォントの日に間に合わせるように頑張りました。
―作業は緊張しましたか?
二人:それはないですね(笑)。
Ken:私たちはプロフェッショナルですから。
―それはきちんとスケジュールを組んでいたからですか?
Ken:準備に何ヶ月も掛かりました。30年前に「平成」の合字が追加されたときは、何のアナウンスもなかったから大変でした。今回は元号が何になるかは分かりませんでしたが、準備に掛けられる時間が1年半はありました。2017年12月に御退位の発表があり、2018年1月にはコードポイントの確保ができていました。
―基本的にはタスクを洗い出してスケジュール通りにこなしていくことが仕事なのでしょうか?
Ken:そういうことですね。
―作業をする上での楽しい部分はありますか?
Dan:この仕事はいつでも楽しいですよ(笑)。
Ken:令和の元号に限らない話ですが、ある国で新しい通貨記号が発表された場合、当然その記号をフォントに追加するための開発作業が発生します。そして、その記号に対応するコードポイントを指定しなければなりません。そのように必要となる新しい文字を認識し、フォントを開発し、既存のソフトウェアで表示できるようにする。こういうことを、私たちは今までずっと行ってきました。
―では、最近Unicodeに追加された他の通貨記号はありますか?
Dan:インドのルピーの記号を作って発表しました。
Ken:ロシアのルーブルの新しい記号も追加しました。通貨記号はよくある話です。Unicodeには新しい文字が生まれるたびに登録されていきます。「令和」の合字の追加もUnicodeにとってはたいへん意義のある仕事でした。
―貴重な体験談、ありがとうございました。