あなたはアーティスト?デザイナー?両者の協業に必要なもの | アドビUX道場 #UXDojo
エクスペリエンスデザインの基礎知識
過去10年の間に、アートの世界はその神聖な殿堂にテクノロジーとデザインを受け入れるようになりました。それはゆっくりとした変化で、渋々受け入れたことも珍しくはありませんでした。最近になって、ニューメディアの舞台がニッチなギャラリーから本流の美術館に移る様子を急に目にするようになったのはその成果です。では、なぜ今なのでしょうか?昨年だけを考えてみても、ロンドンのバービカン・センターは、AIベースの芸術作品に特化した展示を行い、サーペンタイン・ギャラリーは、新しいデジタル技術を用いたアーティスト主体のプログラムに注力するという公式声明を出し、ザブドウィッツ・コレクションは、イギリスの芸術機関として初のVR体験に特化した「360 VR Room」を公開しました。
芸術、映画、音楽、デザイン、テクノロジーなどの分野をまたぐ作品を展示するモントリオールのファイ・センターの創設者でありディレクターを務めるフィービー・グリーンバーグによると、主要な機関や団体からの関心が増大している理由は、VR、AR、AI、そして複雑でインタラクティブな音声や映像によるインスタレーションのような新しい代替メディアが持っている、多感覚的で非現実的な体験を鑑賞者にもたらす力です。「デザイナーは、私たちがアートに取り組む過程に寄与する重要な役割を果たします」と彼女は述べています。
サーペンタインで展示されたスザンヌ・トライスター作「The Escapist」
つまり、インタラクションやサウンドデザインやその他の特殊分野で活動するデザイナーにとって、UX、UI、インタラクションデザイン、コーディング、アニメーション、動画、プロダクトデザインなどのスキルを使い、コンセプトを具現化しようと試みているアーティストと創造的で協力的な新しい方法で協業する、刺激的なチャンスが幅広く生まれているということです。クライアントとの仕事からの要求に苛立ちを感じている多くのデザイナーにとって、アーティストとの活動は夢のような話に聞こえるかもしれません。ですが、実際にクリエイティブな活動に乗り出す前に、デザイナーが知っておくべきいくつかの件があります。
見つめあう2つの顔を描いたミネット・キムのイラスト
デザイナーとアーティストの協業にはさまざまな方法があります。多くの場合に、この手のプロジェクトは自然に発展し、口頭によりやり取りが行われ、内容も大抵は大まかで、様々な解釈の余地が残されているものです。中には詳細を渡されて、ソフトウェア、ハードウェア、アプリケーション要件を指定されるデザイナーもいるかもしれません。あるいは、コンセプトの根本的な側面についてアーティストと緊密に作業する人もいるでしょう。ともあれ、ほぼ例外なく、作品は非常に協力的に生み出されます。それは、ベルリンで働き、クライアントワークとしてのUX/UIデザインプロジェクトと個人としての芸術的な活動を並行して実践しているイリナ・スピカカのように、アーティストが技術的なニーズを十分に把握している場合でもです。スピカカは過去に、グラフィックデザイン、広告、美術、音響デザインなどを学んでおり、Cinema 4D、アドビ製品、Unity、Blender、Abeltonといったツールに非常に熟練しています。それでも、没入型の空間インスタレーション制作には必ず外部スペシャリストの力を必要としています。
自撮り文化やデジタルナルシシズムを解釈したイリナ・スピカカのアートワーク
自称「コンセプトアーティスト」のスピカカですが、共同制作者の功績を正当に認めることには厳格で、共同制作者たちのポートフォリオでもプロジェクトを紹介するよう促しています。「音響アーティスト、映像テクノロジスト、それからアートワークの構築に手を貸してくれた人たちに勧めています。クレジットに加えるのは、誰もが担当した部分に責任を持っているという意味もあります」と彼女は述べています。スピカカは、プロジェクトが共同作業であることを楽しんでいます。作業を分担することで、プロジェクトの完成までの時間を半分にできるのですからなおさらです。
部外者にとって、アートとデザインという異質にに見える2つ領域で活動するのは不思議なことかもしれません。しかし、クリエイターの中には、アート、デザイン、コーディングといった分野をまたいで個人活動をする人々も存在します。ザック・リーバーマンは、インタラクションデザインスタジオYesYesNoとSchool for Poetic Computationの運営に協力している、ニューヨーク在住のアーティスト兼デザイナー兼プログラマーです。リーバーマンは、この3つのスキルを「スツールの3本の脚」に見立て、まっすぐに立てるには、相互に依存しつつ、それぞれが独立した実体でなければならないことを指摘しています。「最も価値があるのは、ある分野から別の分野に取り入れられるものを探り出すことです」と彼は言います。教育者としてリーバーマンは、「商用の制作を教室に取り入れています。それは、学生にとってクライアントと作業するのがどのようなものかを理解する上で、非常に重要だからです。一方で、私は学生から学びます。彼らのエネルギーを私のアートに取り込みたいと考えています。そうやって、私自身のアートから得たものを、クライアント向けのデザインに取り入れられるかもしれません」
ザック・リーバーマンの抽象芸術作品
リーバーマンは芸術とデザインの制作プロセスを表現する別の比喩も持っています。彼曰く、芸術とは「夜間に街中を歩き回るようなもので、行く当てもなく、さまよい続けるようなものです。非常に自主的なものであり、自分自身について理解しようとして、見つけたものを世界と共有することです」。一方、デザインは、日中に都市を移動するようなもので、現在地とたどり着きたい場所わかっているが、途中で道に迷うこともあると表現しています。
それでも、アーティストの殆どは、作品を制作するのと並行して、作品の鑑賞者の手助けを考えることはありません。フィービー・グリーンバーグは、ゲームデザインやシネマティックVRなどの分野では、専門家からのサポートがアート創作と鑑賞者の体験の仲介に非常に重要な役割を果たしていることを引き合いに出して、「経験から言って、VRなどの新世代メディアでビジョンを具現化する技術的能力を備えたアーティストというのは大変稀な存在です」、と述べています。そして、その裏側で起きているのは、デザイナーのスキルが作品の制作に大きく関わっていたとしても、大規模なプロジェクトでは、彼らの名前をクレジットや展示説明や報道記事で見ることはないかもしれないという状況です。
ミュージシャン兼音響デザイナー兼リサーチャーであるデイブ・メッキンは、西イングランド大学ブリストル校でクリエイティブテクノロジーとデジタルメディアの講義を行いながら、独自の芸術活動を続けています。彼は過去数年間に、インスタレーション、マルチメディアスカルプチャー、UVAやNexusなどのスタジオ向けのブランドアクティベーションを含む、多数のプロジェクトに従事してきました。さらに、個人アーティストとも頻繁にコラボレーションしており、オリバー・ビアとの活動では、さまざまな大きさの器から生成された音で構成される、演奏可能な32音の楽器を使った一連の作品の制作を支援しました。この作品は、その後ローリー・アンダーソンやフィリップ・グラスによって演奏され、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのタダエス・ロパック・ギャラリーなどで展示されました。
メッキンによると、一部のクライアントとの作業では、共に働くチームの一員であることを強く実感でき、実際にクレジットにも掲載されるとのことですが、クライアントによっては、必要とされてはいるものの、ひっそりとクリエイティブ技師として存在する場合もあると話しています。こういった裏方仕事の役割を受ける際の彼の条件は、「作品にクリエイティブなメリットを見出せることです。そうであれば、アーティストの構想を手助けする強固なデザインを制作できます」
伝統的な芸術家の作業環境(オラファー・エリアソンの広大なスタジオ、アンディー・ウォーホルのファクトリー、マティスの華やかな大勢の助手を思い浮かべてください)のように、裏方は常に存在し、アーティストのためにデザインする人の多くがその役割に満足しています。スイス出身のWebデザイナーであるヴァレンティン・リッツは、アーティストらとともにデジタルプラットフォームを制作していますが、「アート」とはまさしくアイデアそのものであり、誰がどのように実行したのかということではないとして、こうしたプロジェクトを従来のクライアント制作の息抜きとして歓迎しています。「アーティストはプロジェクトがどのような出来上がりになるのかを理解してはいるものですが、単に指図するよりも、一緒に議論しながら作業できる人と働くことを喜ぶようです」とリッツは述べています。「アーティストのアイデアの実現を手伝い、そこから更にどう進められるのかを見せたいと思っています。もしそれが彼らの希望であれば、私はただの道具にもなります」
Mariesahy.com向けにヴァレンティン・リッツが制作したインタラクティブアートデザイン
メッキンは自身のキャリアの中で、自分のクリエイティブな発想が多く取り入れられた作品に従事して、それが遂に完成した瞬間、脇に追いやられたように感じるのがつらいケースはあると認めています。それでも、グリーンバーグと同様、彼も野心的な芸術作品を軌道に乗せるのは、決して単独の取り組みでは成し遂げられないものだと理解しています。「それが、こうした役割に就く人が大勢存在する理由です。制作の一助となれるの素晴らしいことです。結局のところアイデアはアーティストや会社のものです。でも、クレジットされていなくても、すべてのプロジェクトから私は何かを学んでいます。それらは、私が教えていることや私自身の制作のヒントになっています。つまり、十分に役に立っているのです」
とは言え、いずれの領域においても、プロジェクトの成功は、相手がどのように見て体験するかにかかっています。 ベルリンの祭典「トランスメディアーレ」の芸術監督として最近任命されたキュレーター兼インタラクションデザイン講師兼リサーチャーのノラ・オマーチュは、デザイン、コーディング、ソフトウェア学、社会学、政治学を合わせた観点からナラティブを探るアートに注目した活動をしています。彼女は、すべての分野は本質的に相互に関係していることを強調します。それは自分の立場がデザイナーであるかアーティストであるか、もしくは両方であるのかには関係ありません。ユーザー中心のプロセス、プロトタイピング、アイデアの繰り返しによる洗練は、商業デザインでも芸術的制作活動でも同じであると言います。
「インタラクションデザインには、一般的に4つの段階があります。リサーチ、デザイン、プロトタイピング、そして評価です。アーティストの場合は、それほど形式化されていないかもしれませんが、循環するプロセスであることには変わりなく、どちらも実験と柔軟性によって作品のさまざまなバージョンを生み出したり、製品やサービスをデザインします」とオマーチュは語ります。スピカカはこれに付け加えて、競合他社分析や潜在的な鑑賞者に関するユーザーペルソナの策定といった商業デザインの原則が、自主制作のアートに引き継がれ、オリジナリティになっていると言います。
デザイナーとアーティストの関係は見事なくらい豊かな充実したものになるかもしれません。しかし、それが必ずしも簡単でないことは明らかです。では、アーティストとデザイナーとキュレーターの素晴らしいコラボレーションを成立させるものは何でしょうか?オマーチュとメッキンにとって重要なものは、資金、コミュニケーション、そして締め切りと成果物に関する互いの合意です。メッキンは次のように述べています。「プロジェクトが非常に明確で、そこに自分の専門知識を活かせるとわかっている場合には、必ず良い感触を持つものです」。スピカカは信頼の重要性を強調しています。「関係者には自由を与えるべきです。コントロールしすぎてはいけません」
指示された作業ではなく、自主制作に取り組むと、制作者は新たな脆弱性に直面することになるでしょう。リーバーマンはこの点について、「自分や自分のクリエイティブプロセスをさらけ出すとき、そこには大きな恐怖感が伴います。常に頭の中では、『十分な出来じゃない』、『お前なんて偽物だ』、『お前は下手だ』、『この作品はつまらない』、といった言葉が聞こえています。芸術だけでなく、どんなクリエイティブま活動にも多くの自己不信は内在しているものです」と述べています。スピカカも同意して、「芸術では、少なからず迷いを感じて、なぜ新たに何かを始める必要があるのか?一体だれが興味をもってくれるのか?と疑問に思うことがあります。私は、どんなアーティストも同じ葛藤を抱えていると思います」と話しています。
リーバーマンは、とにかく自分の作品を公開することが重要だと言います。「実験することで新しい道を見つけ出せるのですから、恥ずかしいと感じたり、おかしいと思っていても、作品を共有するべきです。その後に初めて、自分のアイデアが世界と調和しているのか否かを理解することができるでしょう」
この記事は、AIGAのEye on Designと共同で執筆されました。
この記事はAre You An Artist, Designer, or Both?(著者:Emily Gosling)の抄訳です