ジョン・マエダが考える、「人の言葉」と「コンピューターの言葉」を理解することがあなたに持つ意味 | アドビUX道場 #UXDojo

連載

エクスペリエンスデザインの基礎知識

ジョン・マエダは、学問の2つの異なる分野が重なる領域に存在しています。その一部はデザイナーで、別の一部は計算機科学者である彼は、その奇妙な形をした領域の重なりの中に、しっかりと自身を位置づけます。20年以上前にマエダがデザインとテクノロジーの両方の分野を歩み始めたとき、マサチューセッツ工科大学の同僚やクラスメートは、彼がたまたま出席していたクラスに応じて肩書を選び、彼を表現したことでしょう。今日、マエダは、より学際的な呼称である「コンピューテーショナルデザイナー」を好んで使っています。

マエダはこの2つの分野の交わりについて、これまでに何千もの言葉を書き記しました。過去5年間は、毎年Design in Tech Reportを発表し、最も重要なメディアになったコンピューテーショナルデザインの世界が、伝統的なデザイン分野を急速に追いやっている様子を示す事実、数字、観察をまとめました。そして今、マエダはHow to Speak Machineという本を出版し、その200ページによって「機械の言葉」と「人間の言葉」の両方を学習したい読者の役に立つことを目指しています。

マエダにとって、その2種類の言葉の間には重要な違いがあります。彼は、コンピューターの演算は強力なデザインの素材であるとして、少なくともデザイナーは「機械の言葉」を理解すべきであり、できれば使いこなす方法を理解すべきであると主張しています。「人の言葉」は、柔らかい側の言葉です。尖った個所を丸くして、テクノロジーを直感的なものにし、倫理的な側面を(少なくとも理論上は)保ちます。それがデザインです。

2019年になってなぜこの2つを区別する必要があるのか疑問に思ったとしても当然でしょう。コードとインターフェースから構成されるメディアを既に駆使して仕事をしている大勢の人々の中に、コンピューテーショナルデザイナーを見つけ出すのは難しことではないように感じられます。多くのデザイナーが、今や2つの言語を流暢に話してはいないでしょうか。

その答えはもちろんイエスです。多くのデザイナーがマエダと同じ領域に位置づけられますが、そうではない人はより多くいます。そして、マエダは彼らのことを気にかけています。彼が懸念しているのは、彼らの将来と、彼が「裏側の世界」と呼ぶものによってますます支配されているこの世界において、会話する力を持ち続けることです。

好奇心を持つのは怖がるより良いことだと私は常に信じてきた。

ジョン・マエダ, How to Speak Machine

How to Speak Machineは興味深い本です。ハウツー本のタイトルにふさわしい内容です。一方では、コンピューテーションの世界、例えば、ループ、再帰、10のべき乗について学びながら、もう一方で、マエダのコーディングとデザインに関する個人的な歴史と経験を中心とした、コンピューテーションの持つ力に関する哲学的なこぼれ話を学ぶことになります。マエダは、技術の根本的な意味に興味がある人のためになる、多くの引き出しを持っています。

マエダは、2019年に「コンピューテーショナルデザイン」についての本を執筆した理由、デザイナーと技術者が協力すべき理由、ハイブリッドなスキルが必要な未来に備えるためにデザイナーはどうすればよいかなどについて、私たちに話してくれました。

なぜ今この本を書きたいと思ったたのですか?

ジョン・マエダの本

ジョン・マエダ(以下JM): 私は1990年代からコンピューテーショナルデザインに関わってきました。そこでは、コードと人間的な側面が混在しています。私は90年代には風変わりな人間でした。その頃に誰もがコードを書くべきと言っていたのは私ですが、トマトを投げつけられていたような気がします。何年か前から、私は3種類のデザインについて話すようになりました。古典的なデザイン、デザイン思考、そしてコンピューテーションデザインです。人々は私に「コンピューテーショナルデザインとは何ですか?」と何度も尋ねてきました。それは私にとってちょっとした驚きでした。そして「ああ、それが何なのか説明したほうがいいのかもしれない」と思いました。

ではお聞きしますが、「コンピューテーション」とは何でしょうか

JM: Stranger Thingsを見たことがある人には分かると思いますが、私はコンピューテーションを「裏側の世界」と表現しています。神秘的で素晴らしい世界です。私たちの通常の世界とは違っていますが、どういうわけか重なり合っています。そして、そこには私たちの世界に影響を与えるものが存在しています。

コンピューテーションが「裏側の世界」ならば、デザインは何でしょう?

JM: デザインは壊れてしまった前提です。それは、木と金属とガラスと私たちの手しかなかった時代につくられたものだからです。コンピューテーションの世界では、そうした地上に存在する以外の素材が使われています。素材が異なる世界では、製品やデザインの性質は変わるはずです。製品の変化には主にいくつかの方向があります。第一に不完全であることが完全であることよりも上になります。なぜなら、役立つ可鍛性があるなら、完璧なものを出荷する必要はないからです。「コンピューテーションの製品」はターミネーターのようです。不完全なフォームでも配備することができ、その裏側では並行して修理や進化させることができます。

2つ目の違いは、コンピューテーションの実装に関わる余分なコストが少ないことです。自分が書いた記事があったとして、それが何回読まれたかを知ることができますが、そのための追加コストはそれほどかかりません。そのおかげで、不完全なものを出荷しても、革新し、変更し、進化させることができます。しかし、これは問題になる可能性もあります。何百万もの人々に製品を展開していて、それが十分に考慮されたものでない場合、予期せぬ帰結は計り知れないものになる可能性があります。例えば、貧しい地域の郵便番号の人を罰するアルゴリズムを作成することができます。そしてこれは大きな規模で起きています。

「未完成は新しい完全」というあなたの言葉を認めるとして、問題のある製品をつくらないようにするにはどうすればよいのでしょうか?

JM: それが今日のデザインの大きな課題です。後からの改善を前提に装備された不完全なものが溢れる世界で、不均衡が生じないようにデザインするにはどうしたらよいのでしょうか。そのためには、「この製品は誰のためのものか」「それは何をすることになるのか」「誰の倫理観が私たちの考え方を引っ張っているのか」といった問いを投げかけることが必要です。これらはデザイナーが過去にもしたことがある質問のように聞こえるでしょうが、新しい種類の質問で、その意味するところは非常に大きいものです。

現代のデザインの大きな課題だということですが、技術的な課題でもあるのでは?エンジニアリングの問題ではないのですか?

JM: ああ、それは組み合わさっています。2つの分野が融合しているからです。私はいつも2つを一緒に重ねて見ます。これはハイブリッドな問題です。

5回目のDesign in Tech Reportが発表された直後にお話しさせていただいたとき、デザイン業界は厄介な段階にあるとおっしゃいました。いまでもそうなのでしょうか?

JM: 厄介な段階とは何でしょうか?私はティーンエイジャーでも、成熟した科学の専門家でもありませんが、例えばあなたはまだ本当に危険ではない思春期の段階にいて、それからティーンエイジャー(=厄介な段階)になって、車を運転できるようになります。そうなると、少し危険になりますよね。

つまり、あなたが言っているのは、デザインは今や潜在的に有害であることへの責任を持つ段階に入ったということですか?

JM: ええ。それが運転すると起きることですよね?自分が傷ついたり、人を傷つけたりすることがあるでしょう。それを理解するのが大人になるということです。「わあ、これは現実なんだ」と思うわけです。デザイナーは害を与える可能性を持っているのです。

それで、その話はデザインにどう関わってくるのでしょうか?

JM: そこに「車」を理解するべき理由があります。実際の車ではなくて、コンピューテーションの世界の車です。「裏側の世界」のテクノロジーを搭載しており、そのライセンスは取得していない状態です。エンジニアだけはライセンスを持っていますが、彼らはその影響についてはあまり考えない傾向があります。今日の世界の状況を見てください。もし理論的な方法でその影響について話すデザイナーばいれば、一種の問題が提起されていると思います。何も起こっていないとしたら、それは「裏側の世界」の中で実際にそれを変えたり、あるいは戦っている人がいないからです。

私が気付いたのは「ソリューション」とはコーディングすることではないということです。この本はプログラム手法に関するものではありません。そうではなくて、コンピューテーションの本質を理解することについての本です。意図しない結果を招くことが非常に容易な世界において、コードは結果として表れてくるものだということを理解することについて書かれています。

あなたは著書の中で、昨年「実際のところ、デザインはそれほど重要ではない」という見出しでFast Companyに掲載された記事に関する一連の騒動を認めています。この本の中では、「実際のところ、デザインは今日最も重要な問題ではない。代わりに、まずコンピューテーションの理解に焦点を当てるべきだ」と書いています。これは今もあなたの立場ですか?

JM: 私は、古いタイプのデザインの価値はもはや増えていないと考えています。むしろ減少しています。それは、コンピューテーションの素材が従来とは大きく異なっているからです。だとすれば、将来の自分の価値を身に着けるために時間を費やすなら、過去よりも未来のデザインにより多くの時間を費やす方が有益です。

それに関連していそうな話をします。私が20代で美術学校時代の話です。私はにタイポグラフィの教授が大好きでした。彼はいつも私を紙とインクを見に連れて行ってくれたものでした、そして、彼は私に伝統的なタイポグラフィのデザイナーになりたいと思わせました。ある日、彼は私に人生で何をしたいのかを尋ねました。私は、「あなたのようになりたいです。私は伝統的なタイポグラファーになりたい」と言いました。すると、彼は私に本気で怒りました。彼は「分かっているだろうが、君はまだ若い。だから、何か新しいことをしなさい。古典は年を取ればいつでもそこにあるのだから」と言いました。だから、私は彼から得たアドバイスを受け入れているだけなのだと思います。私が言わんとしているのは、彼は正しかったと思っているということです。

では、絶えず変化する業界、絶えず変化するデザイナーが知っているべきスキルに対する期待に関して、デザイナーはどのように対処することができるでしょうか?

JM: それはキャリアの段階によります。年季を積んだ経験豊富なエキスパートであれば容易ではないでしょう。すでに自分の仕事に精通しているためです。私のようにもう一度やり直せるかもしれません。あるいは、時代遅れになることを受け入れるのもひとつの方法です。若手デザイナーであれば、世界は思いのままです。私のタイポグラフィの教授が言ったことを受け入れて、最先端が何かを探して、そこに留まりましょう。

キャリアの途中で後戻りする人もいると思います。古いものや知っていることを教えるデザイナーです。そこにはロマン主義的な傾向があります。また、最新のものを学ぶのが好きな人もいます。彼らは強い好奇心を持っています。従来のデザインとコンピューテーショナルデザインを両方理解しているなら、それはとても素晴らしい人です。新旧のハイブリッドはいつでも面白いものです。

ハイブリッドなスキルの未来に備えるには、単に好奇心を持っていればよいのでしょうか?

JM: 私は「とにかくコードを書け」のような言い方はしたくありません。私の言いたいことがわかるでしょうか?もし言うとしたら、デジタル製品チームで働くようにと言うでしょう。チームに合流して、その場で起きていることに参加するのです。そうすれば意味のある存在でいられるでしょう。

このインタビューは明確さのために編集されています。またAIGAのEye on Designと共同で執筆されました。

この記事はHow to Speak “Computer” While Still Speaking “Human”—According to John Maeda(著者:Liz Stinson)の抄訳です