心に浮かぶ色をFrescoのカンバスに描く! 「共感覚」がつくり出すアートの世界
それは緑色の月の、とある赤い日のことでした。私が急いで通り過ぎた音楽室のドアからは、コショウ味のピッコロの音色が流れ出ていました。遅刻してしまった私は、7年生の理科の教室のドアを走り抜け、謝罪の言葉と、先生の名前を呟きました。その先生の名前は、砂色がかった茶色い点が散りばめられた、柔らかい紫色の名前です。授業はいつものように始まり、彼の口からは退屈な虹色の言葉が溢れ出ていました。そして突然、青空色の言葉が彼の舌先から転がり落ちて、私の世界をひっくり返すことになりました。「共感覚」です。
「共感覚とは、正常な脳内であれば関係のない感覚同士の結合です」と先生は言いました。彼はアルバート・アインシュタインが数字の代わりに図形を使って数学のアルゴリズムを完成させたことを説明し、文字に色が付くというばかげた考えを短く冷笑しました。
これは私にとって啓示でした。それが意味しているのは、私のクラスメートの誰も、私たちの教師の名前に紫色と砂の茶色の斑点を見ていないということ?Aの文字はもともと燃え盛るような赤ではないし、Zの文字はメタリックグレーではないということ?自分のカラーパレットに合わせて電話番号を覚えるのが効率的ではない人がいるということ?
私は即座に、この不可解な「障害」「病気」「状態」「超能力」について、見つけられる限りのあらゆる記事を読み始めました。ところが、研究者たちは一人として、私の第六感をどのように位置付けるかさえまるで理解していないようでした。
結局のところ、私は毎日の生活の中で、それとは知らずに虹色のメガネをかけていたのです。取り外せないコンタクトレンズのように目の中に埋め込まれたそのメガネは、文字を色に、音楽を味に、時間を空間に変換します。その日の午後に帰宅してすぐ、両親に「Bは藍色か、Kはラベンダー色か」と尋問を開始しました。両親は唖然とした表情で私を見つめました。私の正気を疑っていたのは間違いありません。その瞬間、すなわち青色の一時間のオレンジ色の一分の間に、Aが赤くてラップミュージックがしょっぱい理由は何か、そして、周囲の世界に対する自分の知覚が常に私の最愛の虹色のメガネで色付けられられているのは何故かを見つけ出そう!と私は心に決めました。
知覚についての研究
それからあっという間に数年が経ち、私は大学の研究室で人間の知覚、注意、認知を研究するようになりました。もちろん、最初のプロジェクトは共感覚に焦点を当てたものでした。特定の文字と特定の色の関連に着目し、そこから相関関係を導き出そうとしたのです。そうして、私は研究にのめり込みました。私にとって人間の脳は、私たちの世代の西部の開拓地のようなものです。人々が自分の周囲の世界をどのように認識しているのかについては、ほとんど分かっていません。分かっているのは、それが非常に不正確な場合が多いということです。そのために、認識の揺らぎ、勘違い、錯覚が生じます。
認知神経心理学の学位の取得に向けて、私は、突き止めることが最も困難とされる人間の視点の一つで、多くの認知科学者たちが避けがちなトピックである、アーティストやデザイナーの視点を研究し始めました。創造性を定量化し、芸術性を活用するにはどうすればよいでしょうか?
ここ2年半は、アドビのユーザー体験リサーチャーとして、クリエイティブなソフトウェアに対するユーザーの認識や使い方を研究しています。特に、一連の最新のiPadアプリが調査の対象です。数十年かけて積み上げられたコックピットのようなデスクトップツールの機能を、軽快な手続き型のマルチタッチインターフェースに詰め込む行為は、実に興味深い実験的な難題でした。確かに構築に苦労はしたものの、新たに合理化されたインターフェイスは、クリエイティブな体験をより親しみやすく直感的なものにしてくれます。
クリエイティビティの探求
この数年間、私の情熱が向かう先は芸術でした。友人たちからは、新しい土地を訪れて最初に行くのはいつも地元の美術館だとからかわれています。これまでに、数多くの芸術に関連する研究プロジェクトに関わってきました。芸術的なクリエイティビティに関する学術会議にも何回か参加しました。コミュニティが主催する芸術プロジェクトの委員会に参加したことさえあります。しかし、これらの経験の中で、自らなにか芸術を生み出そうとか、自分自身を芸術的なコミュニティの一員として考えたことは一度もありませんでした。
サンフランシスコ周辺でロックダウンが発令された初期の頃、私は外の世界に広がる暗い不安から気をそらそうとやっきになっていました。たったひとりのルームメイトが街を離れると決めたときは、何か慰めを与えてくれる儀式が必要でした。私はiPadとApple Pencilを手に持ってソファに腰を下ろし、Adobe Frescoというデジタルペインティング&ドローイングアプリを起動しました。そして、膝の上で光る真っ白なカンバスを凝視しました。
インスピレーションを求めて、即座に私は最も身近から利用できそうな刺激を選択しました。共感覚です。実際、多くの共感覚者が作曲家であったり、ビジュアルアーティストやミュージシャン、あるいは作家として活動しています。今になって彼らのことを学ぶと、私は長い間自分の芸術的な傾向を抑制していたように思えてきます。
私の最初のプロジェクトは、油彩画ライブブラシを使用して、詩、歌詞、フレーズなどから見つけた言葉を、私の共感覚の眼鏡で色の滴に変換するという試みでした。魅惑的な水彩画ブラシを使ったストロークをいくつか忍び込ませもしました。こうして言葉は、文字と呼ばれる単純な線の組み合わせではなく、色のテクスチャが構成する小宇宙になりました。
次のプロジェクトでは、アーティストの友人が捨てたカラーパレットから着想を得ました。PhotoshiopとFrescoの両方をiPadで使いながら、捨てられたパレットと、そのパレットから着想した詩の組み合わせを形にしました。色を言葉に変換するという作業をすることで、自分にとって快適な領域の外側にいることを自分自身に強制したのです。(通常は、言葉が色になるだけです)
パレットの個々のブラシには多くの陰影があります。これと同じく、私の共感覚的な体験内の個々の言葉は色の組み合わせから構成されています。私は辞書に目を通し、一つひとつのブラシの色彩と完全に一致する言葉を探しました。
そして、それぞれのブラシの色に対応する言葉を見つけた後、それらの言葉から視覚的な詩を組み上げました。このクリエイティブな過程からは、驚くほど詩的な単語のペアが生まれました。「拉致されたオードブル」、「カンカンに怒っている精霊」、さらには「ぐずぐずして進まないおふざけ」です。
クリエイティビティを持つということ
それでも、これはちょっと情熱を注いでみたプロジェクトに過ぎませんでした。社会から隔離された憂鬱(より正確に表現するなら、インディゴブルーの隔離)を回避するための手段です。次にそれをどうするかについてはあまり考えていませんでした。私に私の作品をより広く共有するよう勧めてくれたのは、音楽をつくることによって彼女自身の隔離された状況におけるクリエイティビティを追求していた友人です。何から始めればいいのかさえ分かりませんでしたが、最終的に、いくつかの作品を募集しているバーチャルアートショーやデジタル雑誌にたどり着きました。
私がずっと好きだったアート会場のひとつ、オーストリアに本拠地を置くアルス・エレクトロニカは、対面でテクノロジーを利用したアートを紹介する従来の形式を、ART domainsの助けを借りてバーチャルギャラリーに変更していました。ある日の真夜中過ぎ、私は苦笑いしながら、自分の作品をそのギャラリーの公募に提出しました。入選するはずが無いと知りながら。
その後まもなく採用の通知を受け取って、自分は芸術家ではないという自身に対する見方は根本から揺るがされることとなりました。
それが誰であっても、自分を真のクリエイターと認識するために「アートの世界」と言われている外部からの検証を待つ必要はありません。ただ、良くも悪くも、それが私の身に起きたことでした。私の作品がバーチャルギャラリーに展示されていた一か月、私は他のアーティストのデジタルクリエイティビティが表現された作品の展示会を訪れることに喜びを見出していました。
以来、私のプロジェクトの他のいくつかの作品は、刊行物やWebサイト、さらには個人的なコレクションにまで登場しています。私はやっと、肩をすくめたり自虐的に笑ってみせたりすることもなく「自分はクリエイティブな人間であり、あなたもそうである」と言えるようになりました。ちょっとソファに腰を下ろし、クリエイティブなツールを手にとって、あなた自身が知覚しているリアリティに導かれてみませんか?
この記事はFrom mind to canvas: Creating art with synesthesia(著者:Laura Herman)の抄訳です