マーケティング常務執行役員・里村明洋が語る「最近のアドビのマーケティングがユニークな理由」

吉本興業や漫画『左ききのエレン』とのコラボレーション、ヒップホップアーティストKOHHとの共同プロジェクトなど、最近注目を集めるAdobe Creative Cloudのマーケティング施策を実行した里村にその狙いを聞きました。

アドビ株式会社 常務執行役員の里村明洋

最近、Adobe Creative Cloudのマーケティング施策が注目されています。吉本興業や人気漫画『左ききのエレン』とのコラボレーション、ヒップホップアーティストKOHHとの共同プロジェクトなど、見る人も創る人も「楽しい、面白い」という仕掛けが多数。これらの施策を実行してきたアドビ 常務執行役員の里村明洋に、施策の狙いとCreative Cloudマーケティングチームのミッション、仕事の醍醐味について聞きました。

Creativity for Allを実践するマーケティング施策

「最近のアドビ、面白いね」——ここ1年、こんな声が聞かれるようになりました。

たとえば2020年6月には、吉本興業と組んだ共同キャンペーンを始めました。人気芸人のくっきー! さんの写真をAdobe Photoshopシリーズで加工してソーシャルメディア上に投稿するというもので、優秀作品はYouTubeの吉本興業チャンネルで配信される特別番組「#吉本自宅劇場 presents Adobe x Asobi(アドビアソビ )」で紹介されました。その後も同様の作品創作企画を続け、いずれも多くの反響がありました。

Adobe Blogに掲載された#吉本自宅劇場 presents Adobe x Asobi (アドビアソビ) 番組概要の告知(「#未来のくっきー!からの挑戦状」応募作品の最優秀作品賞会などを配信)

▲Adobe Blogに掲載された#吉本自宅劇場 presents Adobe x Asobi (アドビアソビ) 番組概要の告知(「#未来のくっきー!からの挑戦状」応募作品の最優秀作品賞会などを配信)

Adobe Blogに掲載された吉本興業所属の芸人さん、イラストレーターさんの作品告知(Adobe Stockにてダウンロード可)

▲Adobe Blogに掲載された吉本興業所属の芸人さん、イラストレーターさんの作品告知(Adobe Stockにてダウンロード可)

同年10月には、ヒップホップアーティストのKOHHとコラボレートし、アルバム『worst』収録の新曲「2 Cars」のミュージックビデオをファンの手で制作するプロジェクト「Music Video for All. “2 Cars” Music Video Challenge」を発表。Adobe Blogに準備された制作用の素材をダウンロードし、Adobe Premiere ProもしくはPremier Rushでミュージックビデオを制作し、ハッシュタグを付けてSNSに投稿、最優秀作品はオフィシャルミュージックビデオとしてKOHHの公式YouTubeチャンネルに掲載されるというものです。

Adobe Blogに掲載されたKOHHとのコラボレーションプロジェクト告知

▲Adobe Blogに掲載されたKOHHとのコラボレーションプロジェクト告知

これらを仕掛けたのが、アドビ 常務執行役員としてAdobe Creative Cloudの事業を統括する里村明洋です。

里村「これまでアドビのクリエイティブツールといえば、プロ向けの専門ツールと思われていましたし、実際にプロクリエイターをターゲットにビジネスを進めてきました。しかし今は、明らかに時代が違います。アドビではグローバルで『Creativity for All(すべての人に『つくる力』を)』というブランドビジョンを掲げており、クリエイティビティの力を活性化していくことを目指しています。別の表現でいえば、『すべての人が自由に、自信を持って自己表現できる』ということ。Creative Cloudは限られたプロ向けのツールではなく、『自由に楽しく自己表現ができるツール』と多くの人に感じていただき、それによって日本でクリエイティビティを活性化することが私のミッションになります」

プロクリエイターから、新しいターゲット層へ——Creative Cloudのマーケティング戦略

1987年にデザイン描画ツールAdobe Illustrator、1990年にAdobe Photoshopが登場して以来、デザイン・広告や出版、映像などのクリエイティブ分野でアドビは欠かせない存在となりました。以来30年以上にわたり、プロのクリエイターからの絶大な支持を受け、アドビのクリエイティブツールは進化を遂げてきたのです。

しかし2021年現在、さまざまな外的要因・内的要因が重なり、「クリエイティブは一部のプロクリエイターだけのもの」という認識は薄れつつあります。

もちろんこれだけではありませんが、外的要因の1つは、SNSの浸透です。自分で撮った写真や動画を作品としてSNSにアップすることが日常となり、なかにはプロ顔負けの優れた作品を公開するSNSユーザーも登場するようになりました。内的要因としては、2012年にアドビがそれまでのソフトウェアパッケージ販売を取りやめ、ツールのサブスクリプションサービスに切り替えたことが挙げられます。サービス開始当初こそ、従来のユーザーであるプロクリエイターが多かったのですが、パッケージ売りの時代に比べて価格のハードルが下がったことで、徐々にトライアルで使う一般ユーザーが増えました。Webで好きな時に購入・試用できるサブスクという形態も、ユーザーの裾野拡大に貢献しました。

いま、アドビがターゲットにしている層は大きく2つあります。1つは、TwitterやInstagram、YouTube、TikTokなどのソーシャルメディアで自由に自己表現するユーザーたち。現在はクリエイティブから遠ざかっているけれど、過去にアドビのツールで作品を創作したり、あるいは「将来創作をやってみたい」と思っている人々も対象です。もう1つが、ビジネス領域でクリエイティビティが要求されたり、仕事のために表現力を強化したいと考えているユーザーです。営業活動でのプレゼンの場面や、クライアント毎に、商品・サービスの解説動画を制作する際など、ビジネス領域でクリエイティビティを要するシーンは増えています。これらのターゲットグループに対し、「面白そう」「使ってみたい」「習得したい」という思いを喚起させ、クリエイティビティを発揮できるように働きかけるのが、里村の業務です。

そして里村がもう1つミッションとしているのが、アドビ社内の意識改革です。「これまでの主要顧客だったプロクリエイター向けではなく、新しいターゲット層に向けたアプローチを展開していくには、社内の意識改革が必要です」と里村はいいます。

ミュージシャンKOHHとのコラボレーションは、日本では初めての試みでしたが、実は米国本社ではImagine Dragonsやビリー・アイリッシュなどの人気アーティストと組んで同様の施策を展開していました。ミュージックビデオの制作はプロでも非常に難しいため、米国でも数百件ほどの応募しかありません。ところが今回のKOHHのミュージックビデオでは、日本国内だけでその倍以上の応募があったそうです。創作意欲を持つユーザーがいかに多いか、実感できたといいます。

里村「日本でも米国本社と同じ施策が実行できるのに、これまで誰もやりませんでした。そこで私が自分の人脈を通じて各レーベルを訪問したり、他部署の方のご協力も経て、日本コロムビアさんから協力をいただいたのです。口で『新しいことをしよう、意識を変えよう』というだけではなく、率先して自分が動き、小さくても結果で示すことで、意識改革を促すように努めています」

モバイルという新しい領域も開拓しました。スマートフォンメーカーの富士通コネクテッドテクノロジーズと協業し、「arrows 5G F-51A」に「Adobe Photoshop Express」と連携したカメラ機能を搭載。これにより、スマホユーザーにアドビを自然に使ってもらう機会になります。スマートフォンメーカーも、新しい機能を搭載したいというニーズがあるので、Win-Winの取り組みとなりました。モバイルはアドビにとって新しい領域で、これまでなかなか投資できませんでしたが、ビジネスを広げるために里村自身が提案、予算を獲得し、実践したのです。これ以降、その他のメーカーとの協業も進んでいます。こうしてマーケティングとしての広がりを見せることで、社内の意識を変えていく。そしてどんどん新しい活動を実行してもらうことも、里村の大切な役割です。

クリエイティビティと相性がいいから、エンタメを通じブランド価値を訴求する

里村は新卒でP&Gに入社し、営業職を経てブランド戦略・営業戦略を担当する部署に異動、その後マーケティング部門で手腕を発揮しました。異動がほとんどない同社で、異例のキャリアチェンジだったそうです。

そして「社会的により大きなインパクトがあり、スピード感のある業界でマーケティングを展開したい」と考え、Google日本法人に転職。Googleでは、検索アプリのほか、Googleマップ、Google翻訳、AndroidやGoogle Play、そしてChromecastなどのハードウェアなど、YouTube以外のすべてのBtoC製品のマーケティングを担当したそうです。これもGoogleの慣習ではレアなことだったそうです。

そんな里村が、「よりダイナミックで、業界としてもビジネスとしても変化のスピードが速く、かつ拡大させることができる可能性の高い市場でキャリアを生かしたい」と考え、2019年にアドビにジョイン。クリエイティビティへの関心や創作意欲を持つ層に向け、前述したような創作活動キャンペーンのほか、企業メッセージの発信にも力を入れています。たとえば2020年10月には、集英社の人気マンガ『左ききのエレン』とコラボレーションし、コロナ禍で苦しむクリエイターの実情や、「“表現”は不要不急のものなのか」という問いのなかにアドビのメッセージを描き、大きな話題となりました。

里村「私がこれまで行なってきた活動は、前述したように、社内に対する意識改革の一環として奇抜なことをやっているという側面ばかり取り上げられがちです。ただしそれだけでなく、音楽やお笑い、漫画などのエンタメは、クリエイティビティと相性がいいんです。たとえば芸人さんは、何もないところから笑いを生み出す、ゼロから自分で何かを作り出すプロフェッショナルです。普通に話したら聞き流してしまう話も、つい吹き出してしまう面白い話にしてしまう。音楽も漫画も同じです。そして、お笑いや音楽、映画などエンタメが好きな人は、概して自分も何かを創ることが好きという方が多い。そういう方々に、『アドビを使って作品を創ってみよう』『昔使っていたけど、またアドビで作品を創りたくなった』と思っていただき、彼らの創造性を刺激したいと考えました」

アドビに入社し、里村は「以前よりも自由にマーケティングができる」と実感しています。基本となるグローバル戦略は遵守したうえで、アドビ初となるモバイル分野へのマーケティング投資など、ゴールと具体的なプランを本社に示し、実行してきました。その根底には、「アドビには、今以上に多くの人が創造性を発揮できる環境を広げる責務がある」という考えがあります。

多様な創造性やイノベーションを誘発することがアドビの価値

アドビが提供しているツールは、クリエイティブ系のデジタルツールです。紙も絵の具もクリエイティブツールですが、デジタルツールはアナログにはない新たな創造性を生み出す可能性があります。

里村「デジタルはどんどん何かを作って、すぐに人に共有することもできますし、いろんな素材を融合して新しいクリエイティブを生み出すこともできます。表現する場もどこか1つに限定されませんし、やり方もどんどん進化します。表現方法も3Dで見せたり動きを付けたり、幅が一気に広がります。それを見て、誰かの創造力をインスパイアしたり、新しいアイディアが生まれたり、イノベーションにつながっていくこともあるでしょう。そんなクリエイティブ領域を牽引してきたのがアドビなんです。逆にアドビのツールがないと、表現のエリアが狭まってしまう。本来なら、みんなが自分のアイディアを表現できるはずなのに、その幅が狭くなると、イノベーションも生まれなくなります。クリエイティビティこそ、アドビが社会に提供している最大の価値であり、その価値をより高めて社会をより良くしていくことが、今アドビに求められていることだと考えています」

里村は、クリエイティビティを特別なものだとは捉えていません。子どものころ、誰もが絵を描いたり積み木を組み立てたりするのに夢中になったように、「自由に伸び伸びと創造性を発揮したい」という思いは、かつて誰しもが抱いてたものと考えています。ただ成長するにつれ、創造性に対する思いはだんだん薄くなり、なかにはまったく無関心になってしまう人も少なくありません。里村は「それが最も残念なこと」と語り、アートや創造性に関する教育の充実に期待を寄せています。

一企業であるアドビが、さらなる価値向上に向けできることは、クリエイティビティを高めたい、創造活動をしたいという潜在層にあらゆる角度からメッセージを送り続け、プロの世界だけでなく「すべての人のクリエイティブ活動」という広い分野で、さらにブランド力を高めることにあります。

最近、里村が個人的に夢中になっているのがAdobe Premiereを使った動画制作です。初心者なので、Webに載っているマニュアルや解説を見ながら少しずつ制作していますが、「日々自分のスキル向上が実感できますし、自社ツールをユーザー目線で捉えることができるので、情報提供の改善提案など仕事にも役立っています」と里村は説明します。たとえば利用法のマニュアルは、文章で説明されるより、「説明と同じ画面を開き、実際に動作を見ながら自分の手元を動かすなど、動画のほうが伝わりやすい」という提案もそのひとつ。ユーザーの創造性をより発揮しやすいよう、できる手助けは全部実行していくのも、開発元であるアドビの大切な役割です。

里村はチームのメンバーにも、同じように「自社のツールを使ってみること」を勧めています。もちろん強制ではありません。求めているのは、自由な発想で、これまでにないマーケティング施策を展開していくこと。「業務上のKPIをメンバーと一緒に確認・共有したら、あとは自分で考え、実行していくようにフォローします。マイクロマネジメントに陥るのでなく、必要に応じて軌道修正することはありますが、基本的には自分の頭で考え、チャレンジしてほしいと思っています」と里村はいいます。そんな里村とCreative Cloudのチームメンバーが、どんな新しい施策で創造性を刺激していくのか——アドビの進化は続きます。