げみ「ここまで描けるとは思わなかった!Photoshop iPad版は今後の進化も期待大」

Photoshopの使い勝手をそのままに、タブレットに最適化した機能と操作感を提供するPhotoshop iPad版。その活用法をイラストレーターのげみさんに伺いました。

Photoshop iPad版で作業するげみさん

画像の色調補正や合成を駆使したアートワーク制作からイラストレーションまで、イメージのあらゆる編集が可能なAdobe Photoshopは、写真家やデザイナーのみならず、イラストレーターにも支持されるプロフェッショナルツールです。
2019年11月に登場したAdobe Photoshop iPad版は、従来のPhotoshopの使い勝手をそのままに、タブレットに最適化した機能と操作感によって、デスクトップ版アプリとは異なるレタッチ体験を提供しています。
このPhotoshop iPad版を第一線で活躍するイラストレーターはどのように使いこなすのか。
幻想的な風景を質感のあるタッチで描く、人気イラストレーター・げみさんに話を伺いました。

実家は珈琲屋、パソコンに入っていたPhotoshop

ストーリー性のあるシーンをていねいな質感とともに描き出すイラストレーター・げみさん。その絵には感情、空気のみならず、ときに触感、温度、湿度、音、香りまでもが感じられるかのような、不思議なリアリティが宿っています。

げみ「雨とオルゴール」

げみ「雨とオルゴール」

数々の装画を手がけるなかで、どれもが作品の世界観を引き立たせる存在感を持ち得るのは、げみさんならではの構図、色味、質感、そしてバランス感覚がなせるワザと言えるでしょう。
そのげみさんはいつ、どのようにPhotoshopに触れ、イラストレーターの世界を目指すようになったのか。まずはその過程から紹介します。

「Photoshopの存在を知ったのは、高校の美術の教科書がきっかけです。
ページをめくっているとPhotoshopを紹介する小さなコラムがあり、そこではじめて“Photoshop”という言葉を知りました。
家に帰ってさらに調べてみると、どうやら写真や画像を編集するものらしいということがわかったのですが、偶然にも父のパソコンに古いPhotoshopが入っていたんです。
実家は珈琲屋をやっているのですが、父は手描きだったポップをパソコンで作ってみようといろいろなソフトに挑戦していたのでしょうね、パソコンのなかにはPhotoshopだけでなく、Illustratorも入っていました」

当時は“パソコンを使えば、ポップも作れるし、文字も大きく印刷できる”くらいにしか思っていなかったげみさんですが、多くの機能が搭載されたPhotoshopが家にあると知ると、さっそく自分でもチャレンジし始めます。

「高校生のころはまだみんなガラケーで、待ち受けサイトが流行っていた時期でした。個人のクリエイターさんが作ったおしゃれな待ち受け画像をダウンロードしては自分の携帯を着飾っていくという文化があって、それに触発されて、自分でも写真の加工を始めるようになりました。
写真を二階調化してシルエット風にしたり、フィルターで水彩っぽく加工したり、Photoshopの機能を調べながら、自分が好きなクリエイターさんの作風に近づけようとがんばっていましたね」

げみさんは当時影響を受けたクリエイターの待ち受け画像をいまでも大切に保存しています。高校生のげみさんにとって、それは“Photoshopでこんな作品が作れるんだ”という憧憬の象徴でもあったのです。
Photoshopによる写真加工にとどまらず、ものづくりが好きだったげみさんは、芸大を目指すべく高校2年から画塾で絵を学んでいましたが、Photoshopに触れるようになったあとも、これで絵を描くことはなかったそうです。

「そのころはペンタブレットの存在も知りませんでしたし、ペンタブ=ペン型のマウスくらいにしか思っていませんでした。実際にペン型のマウスを買ったりもしてみたのですが、筆圧感知なんてものもない、本当にただのペン型のマウスで……“描けないじゃん!”と思ってすぐに使わなくなりました(笑)。いまでも実家に残っているんじゃないかな」

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げみ「底に沈んだ空の上」

げみ「底に沈んだ空の上」

Photoshopで絵を描き始めた大学時代

実際にげみさんがPhotoshopで絵を描くようになったのは、美大に入ってから。そこで出会った同級生たちからの影響でした。

「高校のころはデッサンばかりしていたのですが、大学に入ってみると周りの同級生は誰もが漫画絵を描ける。授業では絵具を使ってまじめに静物画を描いたりしている一方で、家では趣味の漫画絵を描いている、そのギャップにカルチャーショックを受けました」

そうした同級生との付き合いのなかで、インターネットに自分が描いた絵を載せる文化があることを知ったげみさんは、あらためてデジタルで絵を描くことに挑戦します。

「僕もそういう漫画絵を描いて、みんなと会話したかったので、学割でPhotoshopとペンタブを買い、デジタルでも絵を描くようになりました。
同級生は芸術系の高校出身者だったこともあって、絵に触れている時間も、そうしたネット文化に触れる時間もずっと長かったんでしょうね。高校のころから絵チャットをしたり、ネットに絵を投稿するというのが当たり前だったんです。
僕の場合、周りに絵を描く人といえば、一緒に画塾に通っていた友人くらいでしたし、先生もネットにくわしいわけでもなかったので、そうした文化に触れる機会はまったくありませんでした」

げみ「うじきんとき」

げみ「うじきんとき」

Photoshopこそ使い慣れてはいたものの、それまでアナログでしか絵を描いていなかったげみさんにとって、ペンタブレットには思わぬ苦戦を強いられます。

「最初は思うように線が描けなかったので、まず手の動きと画面上の線を一致させるために、ややこしい画像を集めては線画でトレースするという訓練をしていました。
あえて線画にしたのは、専攻していた日本画のためでもあります。日本画では、まずデッサンして、それを和紙に写すために念紙(下図を本画に転写する際に使う顔料を塗布した紙)を敷いて、強くなぞって、それをさらに墨で描いていく……というように何度も線を引きます。修行のようなこの工程をPhotoshopを使えば効率化できるんじゃないかと思ったんです。色もあらかじめデジタル上で決めておけば迷わなくて済みますから」

ペンタブに慣れるための練習(左)とデジタルでの日本画を探るなかで描いた絵(右)

ペンタブに慣れるための練習(左)とデジタルでの日本画を探るなかで描いた絵(右)

当時のげみさんは、Photoshopを日本画の下書きに使うだけでなく、自身が思う日本画をデジタル上で描いてはpixivに投稿していましたが、デジタルの日本画を追求するなかでひとつの壁にぶつかります。

「一度、合評のときにデジタルの日本画と、それをもとに岩絵具で描いた日本画を出したことがあったのですが、デジタルの日本画は“これは日本画じゃない”と一蹴されてしまって、講評すらしてもらえないことがありました。
自分ではどちらも日本画として描いた絵なのに、デジタルでは見てもらえない。それなら“日本画って何なんだろう?”と悩み始めました。
それがひとつのきっかけになって、日本画ってなんだろう、アートってなんだろう、なんでこの画材を使っていて、誰に向けて描いてるんだろう、自分が絵を描く意味ってなんだろう……と深く悩んでしまうできごとが重なり、ある時期から好きなように絵が描けなくなってしまったんです。あのころは自分の描く絵には価値がないと思っていましたし、自分で新しい価値観を提示する作品を作る気力もない。描きたい気持ちはあるのに、描いていいと思うものがない。“どうして絵を描くんだろう?”ということをずっと考えるようになりました」

思い悩むげみさんに救いの手を差し伸べたのはイタリアに住む日本人作家でした。誘われるままにイタリアに飛び、美術館や景色を見て回るうちに、自分のなかにある”絵が描きたい”という気持ちが再び湧き上がります。その後、京都のバンドmol-74からのCDジャケットの依頼をきっかけにイラストレーターいう仕事に出会うことになります。

「自分のなかで描くことの意味を見つけ、世の中の人に見てもらうためにどうすればいいか。その答えを見つけ出せた人はアーティストとして活動が続けられます。でも、僕にはそれができませんでした。
それなら、“人のために、人に使ってもらえる絵を描こう”と考えかたを変えたんです。
それからは、どうやったら依頼が来るだろう、どうやったら多くの人に知ってもらえるだろうということを念頭に、自身に課題を設定して、それをクリアしながら絵を描いては投稿をしていく。それをミッションのようにこなしていきました。イラストレーターを意識する前は、描きたくないモチーフは理由をつけて描かないこともありましたが、仕事として描くことを目指す以上、それを言い訳にはできません。描きたくない/描けないではなく、“描けなくちゃいけない”という意識を常に自分に押し付けて、“何でも描くぞ”という精神で絵を描くようになりました」

人に求められる絵を描く。そのために自らにきびしい課題を課し続けるというストイックな姿勢を貫くなかで、少しずつ、げみさんのスタイルはできあがっていきました。

「20代のころは、イタリアンも洋食も和食も出す街の定食屋のようなスタンスで絵に取り組んでいましたね。なにを頼んでも、ある程度おいしい。そんなお店です。
描くモチーフで個性を出そうとするのではなく、誰もが好きなモチーフのなかでいかに自分らしさを出すかは、イラストレーターにとって一番の課題ですが、僕の場合は、質感、構図、色味で自分らしさが伝わればいいなと思っています。
たとえば装丁のご依頼をいただいても、そのモチーフに僕の個性はなく、唯一、自由度が与えられているのは質感、構図、色だけです。だからこそ、そこには強いこだわりを持っています。そうでないと僕の絵ではなくなってしまいますから」

誰しもに受け入れられる寛容さを持ちながら、げみさんにしか生み出せない個性が光る、独特の空気感。それは多くの苦悩、葛藤を乗り越えた末にたどり着いた境地だったのです。
大学卒業後、げみさんはそのままイラストの世界へと歩みを進め、装丁を中心にさまざまな分野で活躍を続けています。

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げみ「白と黒を繋ぐ色」

げみ「白と黒を繋ぐ色」

ここまで描けるとは思わなかった、Photoshop iPad版

高校時代からPhotoshopに触れているげみさんですが、操作に必要な知識、スキルはすべて独学だと言います。
げみさんが大切にしている質感、構図、色という要素のうち、デジタルイラストでは出すのが難しい質感表現をどのように身につけたのでしょうか。

「デジタルでいかに情報量をあげるかを考えたとき、僕は質感だと考えています。ペンタブの練習のとき、下に和紙のテクスチャを敷いていたのも質感によって情報量をあげるためです。デジタルの白は、紙の白には敵わないので、極力、データ的な白は作らないようにしているんです。
質感表現の方法は、試行錯誤するなかで見出していきました。たとえば線の情報量をあげるために、以前は色の境界にシャープネスをかけていましたが、いまは別に作った統合レイヤーを線画に変換して最後に乗せるという方法を採っています。線のいいところもほしいし、日本画の質感表現もほしい。どうすればそれを両立できるかを研究して、ひとつの方法にたどり着く……その繰り返しです。
こうして、自分の絵という素材をPhotoshopを通して加工し、また自分の絵に戻していく。これはPhotoshopにしかできないことですし、質感にこだわればこだわるほど、Photoshopに頼らざるを得ません。Photoshopがなくなったらもう描けないなと思いますね(笑)」

制作環境

げみさんの制作環境

Photoshopのコアユーザーであるげみさんは、今回の「アーティストに学ぶ」動画の制作を経て、Photoshop iPad版をどのように評価しているのでしょうか(動画はページ下部参照)。

「思った以上に描けたなと思っています。仕事で納品しても受け入れていただけるレベルには仕上げることができました。
正直、iPad版では、デスクトップ版と同じようにはできないだろうと思っていて、そういう気持ちで描き始めたので、“ここまでできるのか”という感動がありました。これなら、実家に帰っても、iPadだけあれば仕事ができるんじゃないかな」

動画制作時点では対応していなかったものの、現在のPhotoshop iPad版はデスクトップ版のブラシ読み込みにも対応。これはげみさんにとっても大きなポイントとなっています。

「今回のイラストはアニメーターペンシルで描きましたが、デスクトップ版のブラシがiPad版にも読み込めるとなると、話はまったく変わっていたでしょうね。デスクトップ版ではオリジナルのブラシを作っているのですが、自分の筆が一番なじみますから。
iPad版がデスクトップ版と比べて機能が制限されていたとしても、求める表現さえわかっていれば、別の方法を考えるだけです。その部分はどうとでもなります。それよりもいつものブラシを使えることのほうが、僕にとっては重要なんです」

Photoshopデスクトップ版とiPad版のブラシ

Photoshop デスクトップ版のブラシパネル(左)をiPad版で読み込んだ状態(右)

一方、長年Photoshopを使い続け、iPad版に期待を寄せるげみさんだからこその、現在のiPad版への要望もあります。

「Photoshop iPad版とAdobe Frescoの連携がもっとうまくできるようになってほしいですね。
テクスチャ感を加えるとき、以前はアナログで描いたものをスキャンしてPhotoshopに取り込んでいたのですが、Adobe Frescoが登場したことで、油絵、水彩のような質感をかんたんに作れるようになりました。これを活かして、メインの作業は色調補正もできるPhotoshop、テクスチャがほしいときはAdobe Frescoを使いたいのですが、Photoshopで描いた絵を、Adobe Frescoに持っていくとレイヤーがグループとしてひとつのレイヤーのように表示されてしまい、Adobe Frescoからは編集ができないのです。それぞれのアプリケーションが持つ情報を正確に保持できれば、Photoshop iPad版とAdobe Frescoを行き来しながら質感や色を詰められるようになるので、今後のアップデートに期待したいところです。
あとは、読み込んだブラシの細かい編集ができたり、キーボードショートカットを自由に変えられるとうれしいですね。そうすれば折りたたみキーボードの半分だけにショートカットを割り当てて、左手デバイスとして使えますから。

PhotoshopのiPad版が出ると聞いたとき、絵描き界隈はかなり盛り上がったんです。“これでどこにでも行けるじゃないか”“パソコンの前に縛り付けられることなく仕事ができるんじゃないか”という期待値がすごくて。Photoshopで絵を描くイラストレーターが望んでいるのはそこなんですよね。Photoshop iPad版の一層の進化に期待しています!」

げみさんがPhotoshop iPad版を使って作品を制作する手法を解説した動画を公開中
【アーティストに学ぶ】#19 Adobe Photoshop × げみ:雨とオルゴール - 音を感じるイラストを描く –

個展「既視感の 沁みる 足跡」(2021年7月2日〜11日)/アートコンプレックスセンター(新宿)

https://www.gallerycomplex.com/schedule/ACT215/gemi.html

げみさん個展DM

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げみさんプロフィール画像

げみ
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