Photoshop・Acrobat・InDesign…テクノロジーを駆使して創作を続ける、すがやみつるさんのクリエイティブ魂
ファミリーコンピュータ(ファミコン)登場以前、娯楽の中心がアーケードゲームだった時代の伝説的漫画作品『ゲームセンターあらし』。誰しも一度はその名を、またはその絵を見たことがあるのではないでしょうか。
その作者・すがやみつるさんは漫画家としての活動のほか、小説家、文筆家としても数多くの著作を持ち、いまなお幅広いフィールドで活躍を続けています。2024年4月10日の「フォントの日」に行なわれたCC道場では、漫画のフォントについて歴史を踏まえながら解説をいただいたほか、Adobe Fontsで提供されている 貂明朝アンチック についても貴重なご意見をいただきました。
テクノロジーを駆使していまなおクリエイティブの最先端を走り続ける、その秘訣はどこにあるのでしょうか。この記事では、CC道場では語りきれなかったすがやさんの文字愛、テクノロジー愛に迫ります。
貂明朝アンチックは本格的に漫画に使えるフォント
「意識しないと気づかないかもしれませんが、漫画の文字といえば、昔からゴシック体の漢字に、太い明朝体のひらがな・カタカナを組み合わせた、いわゆるアンチゴチというのが定番なんですよね。いまは吹き出しの文字にもいろいろな書体が使われるようになりましたが、アンチゴチを使っていることで、漫画がよりプロっぽく見えるようになります。
モリサワ、写研の質のいいアンチックに触れていたせいか、デジタルフォントのアンチックは弱々しく感じていましたが、貂明朝アンチック は記号類もたくさんありますし、なによりきれいです。本格的に漫画制作に使えるフォントだと感じています。
漫画を描くひとはみんな、うまい絵を描くことばかりに力を入れがちですが、漫画にとって大事なのはやっぱりストーリーであり、セリフのやりとりなんです。そのセリフを伝える文字、書体にもしっかりこだわってほしいなと思います」
機械好き少年、漫画の道を目指す
デジタルツールを駆使して、さまざまな創作活動を続けるすがやさん。
その知識、技術はいかにして磨かれていったのか。そしてどのように漫画の道に入ったのか。
幼少期の話から伺いました。
「小学生の頃から、家にあった旧陸軍の電鍵(モールス信号を打つ装置)にコイルとブザーをつけて音を出してみたり、ゲルマニウムラジオやワイヤレスマイクを作ったり、古いラジオや壊れたラジオをもらってきてはパーツを取って組み上げたり……そんなことばかりしていました。
中学生当時、一番熱中していたのはアマチュア無線です。試験こそ通らなかったのですが、自作の改造機を免許を持っている人に試してもらったら、80kmくらいまで通信することができた。とにかく機械ものが大好きだったんです」
すがやみつるさん
漫画も好きで描いていたものの、あくまで趣味。将来はエレクトロニクス系のメーカーで働きたいと考えていました。しかし、中学3年生のとき、思わぬかたちで方向を変えることになります。
「うちにあった倉庫を学習塾に貸し出すことになったのですが、そこの先生が“志望校を目指すのなら、こんなもの(無線)なんかに熱中していてはいけない”と親に言って、無線の機材やパーツをすべて捨ててしまったんです。家に帰ったらすっかりガラン洞になっていて、ひどくショックを受けました」
失意のなか、すがやさんは一冊の本と出会います。
それがのちに漫画家への道へと導く運命の書・石ノ森章太郎『少年のためのマンガ家入門』でした。
「この本を読んだとき、自分のなかでカーッと熱くなるものがありました。
それからは受験勉強もせずにひたすら漫画を描くようになったんです。母の同意書もつけて、石ノ森先生に“弟子にしてください”と漫画の原稿を送ったほどです。ただ、残念ながら返信が来ることはありませんでした。
これは後から知ったことですが、この本に影響を受けて同じような手紙を送ったのは自分だけではなく、当時の石ノ森先生の事務所には全国からダンボールが積み上がるくらいの弟子志願の手紙がきていたそうです。返信が来ないのも仕方なかった。そう思っています」
左:小学6年生のときに描いた漫画/右:漫画家になるきっかけになった『少年のためのマンガ家入門』(石ノ森章太郎/秋田書店/1967)
このときは漫画家への道は開けず、中学卒業後は高校へと進学。
近いという理由で選んだ普通科の公立高校は、県下有数の進学校でした。
「兄弟は学校を出たあと、すぐに働いていましたから、自分も卒業したら働きながら漫画を描こうと思っていました。ただ、それを先生に話したらひどく怒られてしまって(笑)。毎年何人かは東大に進学をするような学校でしたから、先生も当然、大学に行くと思っていたのでしょうね」
結局、高校卒業後、すがやさんは漫画家を目指して上京。漫画家のアシスタントや漫画専門の編集プロダクション・鈴木プロなどを経て、念願の石森プロに所属。憧れだった石ノ森章太郎さんに師事することになります。
「石ノ森先生のところに行く前に勤めていた鈴木プロでは、編集だけでなくトレースや写植貼りをやりました。このとき、漫画独特の文字使いや出版社によって異なる表記ルールを知ることができたのは、いい経験になったと思っています」
その後、1971年に『仮面ライダー』で漫画家としてデビューを果たし、1979年、当時の小中学生を熱狂させた伝説的作品『ゲームセンターあらし』の連載がスタートします。
そして、すがやさんの機械好き、技術好きという一面は、漫画家という仕事のなかで確かなシナジーを生み出していきます。
尽きることのないテクノロジー愛
大人気連載を担当する人気作家となったすがやさんですが、漫画の執筆に追われながらも、機械好き・技術好きという生来の資質は変わることはありませんでした。
「仕事の合間に時間ができるとしょっちゅう秋葉原に行っていましたね(笑)。
1979年にはBASICでプログラミングに挑戦してみたくて、はじめてパソコンを買いました。
ただ、当時のパソコンはいまのように買ったらすぐに使えるようなものではなく、パーツを自分で組み立てるものがほとんど。そこで組み立て不要の一体型パソコンとして新たに発売されたNEC PC-8001目当てでショップに行ったのですが、店員から“初期ロットは避けたほうがいい”と言われ、SHARP MZ-80Kを買うことになったんです。結局、キーボードから配線まで、ハンダゴテを使いながら自分で組み上げることになりました」
初のパソコンを手にしたすがやさんは、プログラミングに熱中。その経験と知識を活かして、1982年には『こんにちはマイコン まんが版』、1983年には『こんにちはマイコン2 プログラム入門 まんが版』を刊行します。漫画家としても多忙ななか、テクノロジーの探究を続けていたそのバイタリティには驚嘆するよりありません。
『こんにちはマイコン』シリーズは現在、Kindle版等も刊行されている(発行:小学館)
「当時はよく、無線で誰かと話しながら漫画を描いていましたね。当時の漫画業界は徹夜も当たり前でしたから、無線で喋り続けることがいい眠気覚ましになっていたんです(笑)」
高校時代に取得したアマチュア無線の免許を活かし、すがやさんはDiscordやSkypeのない時代から作業通話をしていた、というわけです。
テクノロジーへの尽きることのない興味はその後もつづき、Macが登場する以前からデジタルでの作画にも挑戦。1986年に発売されたMac PlusとともにMacroMind COMIC WORKSを購入し、Silicon Beach Software SuprePaintなどのペイントツールによる描画にも取り組みました。
COMIC WORKSで描いた漫画は、いま見てもマウスで描いたとは思えないクオリティ
一方で、周囲の環境はそこまで進んでいなかったため、マイコン時代は画面上のイラストを撮影することで原稿にした/FAXの画質不足を補うために原稿を1/4ずつ拡大してFAXで送り、繋ぎ合わせたものを原稿にした/マウスでも描画しやすいようにシンプルな絵柄に変えたなど、すがやさんの技術+漫画のユニークなエピソードは尽きることがありません。
もちろん、こうしたデジタル作画とは別に進行していたストーリー漫画では、従来通り、手描きによる細かな描写は継続。誰よりも早く、アナログ&デジタルのハイブリッドな制作体制を確立していたと言えるでしょう。
PageMakerで漫画制作、Acrobatもいち早く購入
いわゆる生粋の“tech geek”だったすがやさんは、アドビソフトともいち早く出会い、仕事に活用していきます。
「はじめて使ったアドビのツールは、Adobe Photoshopです。
スキャナーにバンドルされていたPhotoshop LE(Limited Edition)だったかな。当時はまだレイヤーもない時代でした。レイヤーが導入されたPhotoshopは、購入したもののその使いかたがよくわからなくて……当時専門学校に通っていた娘に教えてもらって、ようやく使えるようになりました。
写真から背景をつくるようなことにチャレンジしたこともありましたが、おもな用途はスキャンした原稿の調整です。それは今でも変わっていません」
本来、マニュアル制作のようなページレイアウトに使用するAdobe PageMakerを漫画の原稿制作に活用していたのは、後にも先にもすがやさん、ただひとりといっても過言ではないでしょう。
「最初はPageMakerを使っていて、その後、Adobe InDesignに乗り換えたのですが、基本的な流れは同じです。コマ割りをしてネームを入れたものをレーザープリンターでプリントして絵を描き、完成したらスキャンしてPhotoshopで調整をしていきます。
漫画だけでなく、単行本もこのスタイルで描いているのですが、テキストを繋げて一気に流し込めるのがとにかく便利なんですよね。最初にネーム、シナリオを書いてしまう自分のスタイルにも合っているんだと思います」
左:InDesignでコマ割りとネーム入れ/右:PDFで書き出し、Acrobatで表示したもの
コマ割りにしたがって絵を入れたのち、Photoshopで仕上げていく
小説家・菅谷充としては、PDFとAdobe Acrobatにも日本語版が出る前から注目。このときすでに、来たる電子出版の時代をも見据えていました。
「当時の日本ではまだPDFは普及していませんでしたが、海外のサイトを見ているといろいろな書類がPDFになっていたんです。“これからはPDFの時代がくるな”と感じていたので、日本語版のAcrobat 3.0が出たとき、秋葉原にすぐに買いに行きましたね。
ただ、出版社とのやりとりは依然としてプリントアウトに手書きで赤字を入れるスタイルでした。当時からPDFで校正できたら便利なのに……なんて思っていましたが、実際に出版社とPDFでやりとりができるようになったのはそれからずいぶん後のことです」
誰よりも早く、新しい技術に触れることで、急激な時代の変化にも対応、順応していく。
これこそが、すがやさんが50年以上、創作の最前線に立ち続けている秘訣なのかもしれません。
テクノロジーでクリエイティブを切り拓く
「歳のせいか、老眼に加えて目が霞むようになり、漫画を描くのがつらくなった時期があったんです。
それが原因で文字中心の仕事をすることもあったのですが、タブレットなら拡大して描ける。それからは絵の仕事も再開するようになったんです。
“デジタルのおかげで寿命が伸びている”。そう感じますね」
ChatGPT、Adobe FireflyといったAI技術に果敢に取り組み、その試みをXやnoteで発信し続けているすがやさん。最先端のテクノロジーにも積極的に飛び込み、知識、経験へと変え、クリエイティブにつなげる姿は、まさに“テクノロジー×クリエイティブの開拓者”とも言うべきもの。
すがやさんの探究心は、アマチュア無線に熱中していた幼少期から何ひとつ変わることなく、いまなお、そしてこれからも続いていくことでしょう。
すがや みつる
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