写植で培った“文字を見る目”をInDesignに活用し、美しい文字組みのノウハウを伝える大石十三夫さんの職人魂
はあどわあく・大石十三夫さんは大阪で書籍組版をメインに活動する、言わば“文字組みのスペシャリスト”です。自身の仕事としてAdobe InDesignによる組版を行なうだけでなく、より美しい文字組みを実現するためのノウハウをさまざまメディアで積極的に公開。オリジナルの設定を施したAdobe Illustrator・InDesign向け「文字組みアキ量設定」は、きれいな文字組みをよりスムーズに実現するツールとして、デザイン・制作の現場で多くの支持を得ています。
大石さんはどのようにして、美しい文字組みを見極める目を養い、それをInDesignに活かしていったのか。また、そのノウハウを積極的に伝える目的はどこにあるのか。これまでの経緯から、現在の活動まで話を聞きました。
文字組み50年。写植からInDesignへと受け継がれるノウハウ
はあどわあく・大石十三夫さん
大石さんの文字との関わりの原点は写真植字、いわゆる写植にあります。
写植とは、ネガ状のガラス文字盤上の文字に光を当て、レンズを通して拡大・縮小したうえで印画紙に文字を焼き付ける印字方法で、それまで物理的な活字を必要とした活版印刷に代わる革命的な技術でした。写植はその後、コンピュータ化(電算写植)を経て進化を遂げますが、パソコンによるDTPの普及により、1990年代後半から2000年代前半にかけて急速に活躍の場を失っていきます。大石さんはまさに、こうした技術の変化、時代の移り変わりの波に立ち向かうことになりますが、そもそも写植との出会いはどのようなものだったのでしょうか。
「高校時代、僕は映画研究会に入っていて、学校で映画を上映したり、公民館や市民会館で記録映画を上映する人たちの手伝いをしたりしていました。そのとき、お付き合いのあった方が写植業を始められて、高校卒業と同時にその会社(長征社)に入ることになったんです。
僕としては、映画の仕事ができるかもしれないという期待もあったのですが、“写植のオペレーターは職人のような仕事だから、全国を渡り歩いて仕事ができるよ”と言われて納得してしまったんですね(笑)。それが1973年のことです」
写植を始めたころに使っていたモリサワの手動写植機・MC-6を操作する大石さん(大阪DTPの勉強部屋主催「写植の時代」展にて/2012年)
当時導入されていた写植機はすべてモリサワ製で、社員は3人。そのうちの1人は写植経験者でした。大石さんはそこで写植機の使いかたから文字の打ちかたまで、写植の基礎を教わることになります。
「モリサワの写植教室にも通いました。学校のように朝から夕方までみっちりと講習があり、まるまる一ヶ月かけて写植の技術を習うんです。
仕事も最初は学校の文集のような原稿用紙に書かれた文章をベタ組みで打つような単純なものでした。当時使っていたのはディスプレイのない機種で、ツメ文字盤(ツメ組みの際に文字がきれいに並ぶ字送りの調整値が記載された文字盤)のような便利なものもありませんでしたから、ツメ組みをするときには一度、ベタ組みで印字をして、ツメ量を計算してからもう一度打つというような工夫が必要で……細かくてしんどい作業でしたが、嫌いではありませんでしたね」
ツメ文字盤ができる前の文字詰め再現図(単位は1/32em)。文字ごとに左右のツメ量を決めておき、文字の字送り量を計算してから印字した。箱組ではさらに行長に合うように計算が必要だった
その後、大石さんが勤めていた長征社は、写真家・北井一夫さんの『新世界物語』出版(1981年)をきっかけに、写植業から出版社へと業態を変えていくことになります。
「ここには10年近く勤めていたのですが、会社が出版専業になるのを機に写植屋として独立したんです。写植機、文字盤からクライアントまですべて引き継がせてもらったので、“仕事がない”ということにはならずに済んだのは幸いでした。
独立後はクライアントからの要望もあり、譲り受けたモリサワの写植機に加えて、写研の写植機も増設しました。当時の仕事は雑誌広告がメインで、MMAOKL(写研・石井中明朝オールドスタイル大がな)を完箱(文字をツメて四角に仕上げる完全箱組み)に仕上げるという組みかたをよくやっていましたね」
写植全盛の時代、大石さんへの仕事は絶えることはなく、スタッフを雇って写植機も増設。電算写植が伸びてくると入力機も導入しました。しかし、1990年代中頃になると写植は徐々にDTPに押されていくようになります。
「仕事をいただいていた広告会社が、MacとPhotoshop、Illustratorを入れるようになったんですね。そうなると文字はデザイナーが組むようになって、写植の印字はいらなくなるんです。
実際に仕事が減ってきたことを受けて、写植はスタッフにまかせて、僕はDTPを勉強することにしました。1996年にPower Macintosh 7600、Illustrator 5.5、Photoshop 4.0、モリサワフォント、MICROLINEとページレイアウトソフトを買って、参考書を片手に独学で使いかたを学び、わからないことがあればNIFTY-Serve(パソコン通信)で聞く。当時は今のように誰もがネットにつながっている時代ではありませんでしたから、そういうところで聞かないとどうしようもなかったんですね。でも、NIFTY-ServeならDTPの質問に対してすぐに答えてくれる人たちがいらっしゃって、当時は非常に助かりました」
事務所には文字、組版関連の資料が並ぶ。なかでもDTPに取り組み始めたときに“すごく勉強になった”という一冊が府川充男さんの『組版原論』
手動写植から一転、Macやパソコン通信を駆使してDTPを学ぶ……それまで20年以上、写植を続けていた大石さんにとって苦渋の決断だったかもしれません。しかし、そのときDTPへと舵を切った決断力と柔軟性が大石さんを次のステージへと押し上げることになります。
「写植をメインでやっていたころは、“Macでなんか絶対やるか!”と思っていました。でも結局、やらないわけにもいかなくなったんですよね。
モリサワの文字は写植時代にも扱っていましたから、“この書体があるのならできるだろう”という感触はありましたし、パソコン自体も電算写植用に事務所には入っていて、基本的な操作には慣れていましたから、Macにもまったく抵抗はありませんでした。PhotoshopやIllustratorも実際に触ってみると、意外とおもしろくて。基本的に新しいことを学ぶのは好きなんですよ」
DTPへの移行で広告の仕事は激減したことを受け、仕事の内容もページレイアウトソフトを使った書籍組版へとシフト。これには電算写植導入時期に出版社と取引をしていたことが功を奏したと言います。
そして、2002年、大石さんにとって大きな転換点が訪れます。それが、InDesign 2.0の登場でした。
強力な日本語組版機能を搭載して登場したAdobe InDesign 2.0 日本語版
写植で培った審美眼をInDesignでも活かし、伝える
「それまでのページレイアウトソフトは、もともと日本語組版用に作られたものではなかったこともあり、きれいに組むには相当な手間をかける必要がありました。
でも、InDesignは違いました、本当にまったく別のものでしたね。グリッドが搭載されたことで手間なく、きれいに組めますし、字取り、行取り、ぶら下がりのような日本語独自の組版機能も搭載されている。文字組みアキ量設定を使えば、さらに文字組みを細かくコントロールすることができるようになったのも、僕にとってはすごく助かりました。
僕はいまのInDesignには満足していますよ、本当にすばらしいと思います」
InDesignの機能をひとつひとつ、仕様の細部に至るまで事細かに調べ上げるのも大石さんならではのアプローチです。
「写植のころから、字形変更があった文字や字体が変わって出力される文字を調べてリストを作るような作業をよくしていたこともあって、気になることがあると細かく調べるクセがついたんでしょう。InDesignを使い始めてからも、どこをどうしたらどういう文字組みになるか、不自然な文字組みの原因はどこにあって、どうすれば解決できるのかを徹底的にチェックしました。そういった調べものはわりと楽しんでやっていますね」
大石さんのBlog 「なんでやねんDTP」
大石さんはこうして調べ尽くしたノウハウを自身のBlogやYouTube、雑誌、セミナーで積極的に公開しており、Twitterでも文字、組版にまつわるさまざまな交流を行なっています。こうした活動のモチベーションはどこにあるのでしょうか。
「“こうしたらいい”という情報はどんどん共有したほうが、みんながいいものを作れるようになって、業界も世の中もよくなっていくんじゃないか……ただそれだけのことです。だから、どんなことでも聞かれたら答えます、基本的には教えたがりなので(笑)。
大阪弁で口も悪いので、Twitterではつい“不細工な組み”なんていってしまうのですが、“こうしたらもっとよくなるよ”というアドバイスをしたいというのが本心なんですよね。いまはTwitter経由でInDesignや文字組みの相談をいただいて、オンラインでお答えすることも増えています」
不自然な文章は“見る目”を養うことで気づくことができるようになります。一方、苦労を重ねてきれいに組まれた文章は、自然に目に届くゆえに、きれいだとは気づかれなくなります。相手には伝わらない(かもしれない)努力や読み手への配慮について、大石さんは“それはしょうがない”と話します。
メイン環境はMacBook Pro+外部ディスプレイ
そしていま、大石さんは写植そのものの経験を伝える取り組みも行なっています。
京都のブックデザイナー・北尾崇さんが写研の写植機を引き取ったことを受け、その使いかたを伝えているのです。
「僕は写植機を置いておきたかったけれども、場所の都合で置いておくことができませんでしたから、こうして写植機が生きているというのはものすごくうれしいですね。いままた写植の仕事をしたいかといえば……したくはありませんね、あの頃は本当に大変でしたから(笑)。でも、2024年にリリースが予定されている写研書体のOpenTypeフォントは楽しみにしていますよ」
大石さんとHON DESIGNの北尾崇さん
大石さんが文字組みに関わっておよそ50年。DTPでの文字組み歴は、写植での経験を超えるまでになりました。写植時代の経験はいまの仕事にどのように影響しているのでしょうか。
「写植では一文字一文字、文字を見ていきますよね。そうしたクセはDTPになっても残っていて、常に一字、一行という単位で文字の並びを見ています。“あれ? ここは変じゃないかな?”というところに気づきやすいのは、そのせいじゃないかと自分では思っています。
そのうえで、そのおかしく見える文字組みをきれいに仕上げるために、InDesignの機能をどう使ったらいいのかを考える。それがおもしろいんですよね」
現在のレイアウトソフトでは、文字を流し込むだけで簡単に組むことができます。しかし、予定のスペースに収まればOKではなく、もう一段階、文字を見る目の解像度を上げて、行単位でチェックをしていく。大石さんが文字を組み、品質を見極めるとき、そこには写植で培われた確かな経験が息づいているのです。
大石さんが公開している 文庫判(A6判)の各社書体による組み見本
大石さんが作成・配布している InDesign・Illustrator向け文字組みアキ量設定
大石十三夫
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