「共感」をデザインしてビジネスにすることの意味を考える Part 2 | アドビ UX 道場 #UXDojo

この記事はパート 1 の続きです。

共感のための手法

「他者とつながる」は、常に「共感」が与えてくれる高尚な約束事でした。シリコンバレーの大企業の多くがこの言葉に魅了されている理由も、その中の数社が、組織的な実践に共感を取り入れた理由もそこにあります。Facebook の CEO マーク・ザッカーバーグは、2018 年に行われた Freakonomics Radio のインタビューで、人々がシェアしたものを他の人々に提示することによって人々をより共感的にする、自社の持つ力についての見解を述べました。

「まず、共通する何かでつながります。それで、相手も人であることを認識するのです」とザッカーバーグは司会者に語りました。「その後、他の何かでもつながり、その何かで議論になったとき、同意する点もあれば、しない点もあることを理解します。しかし、その際には、生産的で共感的な議論ができます。というのは、お互いに人間であり、共通の人間性を持つと認識しているからです」

これは、単なる美辞麗句でなければ、賞賛に値する所感です。Facebook のような企業では、共感がしばしば「超個性化」の略語として使われます。世界がより複雑になり分断されていく中で、ユーザーのそれぞれの派閥が自社プラットフォームをどのように体験したいのかを知ることは、ビジネスに役立つ以上に、企業の存続に関わります。2015 年、Facebook は、 Empathy Lab(共感研究所)を立ち上げました。これは、障害者や発展途上国に住む人々など、特別なニーズを持つユーザーにより適応した製品やサービスを提供する取り組みの一環です。自社製品をより使いやすくアクセシブルにしたいという Facebook の願望に異議を唱えるつもりはありませんが、この取り組みは、共感とビジネスを結びつける行為に内在する葛藤を浮き彫りにしています。より配慮された製品が重要なのは、より多くのユーザーを惹きつける限りにおいてなのです。

Danielle Krettek は、テクノロジー世界が抱える矛盾の中を舵取りするのに慣れています。エンジニアリング主導の会社として悪名高い Google に入社したとき、彼女は過激なアイデアを持っていました。ナイキや Apple で、デザイナーやリサーチャーとしてキャリアを積む中で、テクノロジーが、その提供者の善意にもかかわらず、効率や機能と引き換えに、ユーザーの感情面の豊かさを無視することが多いことに彼女は気づいていました。彼女は Google の製品に、人間らしい要素を取り入れたかったのです。

カリフォルニアの彼女のオフィスからの電話で、彼女は私に「テクノロジーが、人間の体験における感情的な層を全く無視している様を目の当たりにしてきました」と語りました。「マルチタッチとアプリ世界の直感的なインタラクションが、非常に単純で非常に浅く、そして機能主導の体験へと深く導いていることに気づきました。決定的に欠けているのは、あらゆる感情的な体験です。テクノロジーが包括的に生活の隅々にまで行き渡っている今、それは徹底的に不足しているのです」

数年前、Krettek は Google の Empathy Lab を設立しました。これは、主に同社の AI および機械学習チームの中で働く学際的なチームですが、さまざまな製品チーム間を飛び回る研究グループという側面も持ち、ユーザーの感情的な満足のための提言をしています。Krettek は Empathy Lab が取り組んでいるプロジェクトを具体的に明かしていませんが、現在、リソースの大半がつぎ込まれているのは、音声アシスタント用の訓練モデルやアルゴリズムに「人間性を組み込む」機械学習エンジニアの支援です。「私たちは 600 ~ 700 人のグループでさまざまなことに取り組んでいます。私が試みているのは、人間的な発想に関わることです」と彼女は説明しました。

Google のような企業が、感情的な道義心を持つ製品開発への投資に前向きであるということは、裏を返せば、指でスワイプする等の過去 10 年間に習慣化したテクノロジーとの関わりに、ひどく欠けていたものを認めているともいえます。しかしこれは、テクノロジー自体の変化に対する反応でもあります。アプリがよりパーソナライズされ、予測機能を持ち、音声アシスタントがより普及する中で、テクノロジーが人々の生活のあらゆる側面に摩擦なく入り込むには、 Krettek の仕事は小さくても重要な取り組みです。

他の大手テクノロジー企業も気付き始めています。トランジスタの発明で有名なノキアのベル研究所は、ここ数年、人々がより共感を持って会話できるウェアラブル技術の開発に時間と資金を投入しています。ベル研究所の Marcus Weldon 社長は、世界の問題のほとんどは、現在、電話やコンピュータが可能にしているよりも深いつながりを誘導することにより解決できると考えています。

以前ワイアード誌の記事になった取材で同社について尋ねた際、「私たちは小さな部屋の中の孤立した存在になりました」と彼は口にしました。「欠けているのは、相手がどう感じているかを実際に感じられる、個人間の状態の伝達です」。 ベル研究所の The Sleeve と呼ばれる解決案はパワーアップした Apple Watch のようなもので、心拍数や発汗などの生体データを測定し、その情報をより感情溢れるメッセージに変換し、触覚フィードバックを通じて伝えることができます。最終的には、このような「第六感」技術がより多くのデバイスに組み込まれ、世界をより感情が強調された感覚で覆うようになるかもしれません。

ずっと小さな規模では、それはすでに実現されています。Krettek は、ここ数年 Google Assistant のパーソナリティチームに在籍しています。このチームは Google Home や Google Assistant などの製品に人間らしさを植え付ける役割を担っています。Krettek は自分の立場を、エンジニア、製品マネージャー、ライター、科学者が、人間の感情のニュアンスをよりよく理解できるようサポートすることだとし、それがテクノロジー製品が不快か快適かの違いを生むと説明します。彼女の考えでは、テクノロジーは多くの人にとって避けられないもので、私たちの生活により深く入り込んでいくものです。現代の UX デザインの課題は、人々が(まだ人間らしいとは呼べないものだとしても)自然に感じられる方法でテクノロジーと関わり、テクノロジーが人々の時間、感情、プライバシーを尊重する方法で人々と関われるようにすることです。「私たちは新しい時代の新しい波に突入しているのだと思います。そこでは、『デザイン思考』の代わりに、『デザイン感覚』が重要になります」と彼女は言いました。

Krettek の理想主義は、多くの著名な共感の提唱者に同意されています。彼らは、共感が突然流行することは、本質的に良いことだと言います。 Sub Rosa の Ventura は「私の見解では、もし共感がより普通の存在になるなら、それはおそらく誰にとっても悪いことにはならないでしょう」と語っています。

売り物としての感情

より共感的な世界は、自制の利かない利己主義が引き起こす問題のいくつかを解決できると信じられる理由は数多く存在します。しかし、個人的な共感を実践することと、それを利益向上のために学んで磨き上げられるマーケティングツールとして売り込むことは異なります。ここ数年、共感に対する雄弁な反対派がデザイン業界に誕生しました。彼らは、共感という概念について、利己的で、視野が狭く、デザインプロセスの杖のように使われていると主張します。このような失敗は、ユーザーのごく一部の問題だけを解決する製品デザインにつながり、共感と共にデザインすることのより広い意味を無視することになります。

「私たちは自分のことを、共感的な実践の中の共感的な人間だと考えるべきです」デザインコンサルタントの Thomas Wendt は言いました。彼は、エスノグラフィーのウェブサイト EPIC に「偽の道徳としての共感(Empathy as Faux Ethics)」と題した記事を寄稿しています。「しかし、私にとっては、それが限界です。それ以上のことは、共感の商品化のようなものです。全く直感に反しますし、率直に言って、ただ不快です」

デザインの世界以外でも、共感を特効薬として売り込むことは、その力を中和してしまうリスクがあります。Wendt は、営利企業がより多く稼ぐための手段として共感を利用することの矛盾を特に問題視しています。「それは奇妙だと思いませんか?人間のもっとも本質的な資質のひとつに値札を付けているのです」と彼は言いました。

Ventura、Krettek、Hess のような共感の提唱者に尋ねれば、彼らは共感が常に信頼できるものとは言えないことを認めるでしょう。企業は、環境に優しく見せるためにマーケティングを「グリーン」にするのと同様に、メッセージを「共感的」にできます。共感は、狭い、あるいは目先の目的のために誤用されることがあります。最悪の場合は、悪意のある目的のために用いられることさえあります。Ventura は、2016 年の選挙に影響を与えるために Cambridge Analytica が行った Facebook データの検索と分析は、彼自身の定義によれば共感的だと考えられると指摘します。「あれは不正でした。ですが、その核心は、特定の人々の深い理解でした。彼らの行為には、多くの共感が含まれていたのです」

企業による共感の多用の最大のリスクは、ユーザーの倦怠感の典型的なケースに陥ることでしょう。ビジネスリーダー達が機械的に吸収する他の善意の言葉やフレーズと同じ様に、共感は、本の表紙や見出しにべたべたと貼り付けられるほど、その価値を失うリスクがあります。つまり、共感の純粋な利他主義をマーケティングすることは、その力を弱めるという意図しない効果を持ちます。

ユーザーテスト

ワークショップに話題を戻しましょう。Ventura は参加者に対し、ばらばらになって見知らぬ人同士でペアを組むよう指示しました。参加者はそれぞれ、「あなたが最も不快に感じる質問は何ですか?」「あなたを向上させる動機は何ですか?」といった探りを入れる質問が印刷されたタロットのような見た目のカードを 2 枚ずつ手にしていました。Ventura はタイマーを 10 分にセットし、部屋は静かな会話で満たされ、それが重なり合って反響を生みました。

私が組んだ女性は、彼女が所属する世界的な消費者ブランドのマーケティングチーム内で、コミュニケーションに問題を抱えていると語りました。メンバーはストレスを抱え、精神的に参っていますが、チームには各自の精神的な健康状態を把握する時間がありません。彼女は、私生活で感じている気遣いや共感を、同じレベルで仕事にも適用できるようになりたいと言いました。それは、正直に言って、とても難しいことです。

その会話は少し奇妙で強引に感じられました。しかし、それはまた効果的でもありました。彼女のファーストネームしか知らないにもかかわらず、私は彼女の仕事観について、これまで多くの友人について学んだ以上に多くを学んだように感じました。

「このような部屋の変化を目にするのは、本当に素敵なことです」と、Ventura は演習の終わりに言いました。「機能するならば、共感は、見ず知らずの人間に対しても人々の心を開かせます」と彼は続けました。

彼は自分の主張を証明するため、「挙手してください」と言いました。「皆さんの中で、同僚とこのような会話をしたことがある人は何人いますか?」

手を挙げた人はいませんでした。

この記事は、AIGA Eye on Design の協力により作成されました。

この記事は The Empathy Economy Is Booming, and There’s More at Stake Than Just Our Feelings – Part 2(著者: Liz Stinson)の抄訳です