校正者として、言葉と向き合い続けてきた35年
大西寿男(おおにし・としお)さんは、出版の世界で35年にわたり校正を手がけてきた、言葉のプロフェッショナルです。
あらゆる文章に真摯に向き合うその姿勢には、編集者のみならず作家からも厚い信頼を寄せられており、これまでに作品の校正を担当した作家には、安堂ホセさん、池井戸潤さん、伊集院静さん、宇佐見りんさん、金原ひとみさん、島本理生さん、羽田圭介さん、若竹千佐子さん、綿矢りささん……と錚々たる名前が並びます。
手がける分野はそうした文芸書から、医療等の専門書、ビジュアル豊富な雑誌まで多岐に渡り、誤字、誤植、表記、字体、組版のみならず、事実関係、物語の整合性にまで及ぶその校正は、書き手の言葉に確かな力を与えています。
いまや文芸、出版の世界において欠かせない存在と言える大西さんは、どのようにして校正の道へと足を踏み入れることになったのでしょうか。これまでの経緯を伺いました。
「子どもの頃から本は好きで、学生時代には自分で小説や文章を書いて同人誌を作ることもありました。
岡山大学で考古学を学んだあと、編集者になりたいと思い、東京で出版社を受けたのですがなかなか通らなくて。たくさんの採用試験の果てに、ようやく小さな出版社の編集部に入ることができました。
そこでは編集、校正、組版から書店への営業まで、ひと通りのことを学びました。現場で先輩社員に教えてもらいながら、見様見真似で覚えていくしかなかったのですが、それでも本作りの基礎を身につけることはできたと思っています」
「校正の道に入ったのは、その編集部を辞めたあと、知人から校正者を探していると声をかけてもらったことがきっかけです。担当したのは、文芸雑誌だったのですが、あるとき編集長から“きみは編集者よりも校正者に向いている。校正者になりなさい”と言われたんです」
誤字、誤植を正確に拾えること。表記の揺れを正しく指摘できること。出版の道に入りわずか2年目のことでしたが、校正に必要な“気づく力”を大西さんが持っていることを編集長はいち早く見抜いていたのです。しかし大西さんはそのとき、校正者になることは考えていなかったと話します。
*表記揺れ:「ひとつ」と「一つ」のように同じ言葉でも表記がぶれること
「編集者になるという夢をあきらめきれなかったからです。
いまはまったくそんなことを思いませんが、若かった僕は、“編集者は校正者よりもえらいんだ”と考えていました。これは僕に限った話ではなく、出版業界全体にヒエラルキーのようなものが確かに存在していた。でも、実際に校正の仕事を始めてみると、自分にすごく合っているとすぐにわかりました。そして気づけば35年が経っていましたね(笑)」
校正のスキルは雑誌の出張校正や在宅で単行本の校正を続けていくなかで、少しずつ手探りで身につけていったという大西さん。ベテランの校正者に教えてもらうこともあれば、校正が入ったゲラ刷りを見て自ら学びとることもあったそうです。
原稿に真摯に向き合い、校正を重ねる姿は次の仕事へとつながっていき、“大西さんに校正をお願いしたい”という編集者は徐々に増えていきました。
「人に恵まれていたんでしょうね。仕事を続けるなかで少しずつ人脈が広がっていきました。
文芸書だけでなく、医学書、実用書等いろいろなジャンルのお仕事を手がけてきたのは、フリーランスの校正者にとって、食べていくためには仕事を選んではいられなかったというのが正直なところですが、“どんな原稿がきても対応できる”というのは、フリーランスの校正者としてひとつの理想形とも思っています」
言葉を整え、書き手の想いに力を添える
“校正”とは、そもそもどのような作業なのでしょうか。その内容について、あらためて大西さんに聞きました。
「突き詰めると、“情報が正しく、適切な表現になっているかなど、文字情報の品質を保証すること”です。
校正は出版に限らず、新聞、TVや映像のテロップ等、さまざまな場面で必要になりますが、僕はそのうちの書籍、雑誌を担当しているということになります。
どれほど執筆に慣れた人でも、原稿には必ずなにか間違いがあります。100%完璧な原稿を人間が書くことは本当に難しい。単純な誤字・脱字だけでなく、事実関係の誤認、整合性が取れていない記述……不備はいくらでもあるんです。本が世に出る前に、そうした問題を解決するために校正者がいます。
見るのは文章だけではなく、データや数字があれば、それが正しいかどうか、webや辞書、事典を当たって調べ、手持ちの資料で解決できない場合には図書館等で資料を探すこともあります。
雑誌のように、複数の著者がひとつの媒体に原稿を書く場合、ある人は漢字を使っていた表現が、別の人はひらがなで書いているというケースが多々あります。こうした表記の揺れを整え、用字・用語を統一していくのも、校正の重要な仕事のひとつです」
特定分野の校正経験が増えれば、それにともなって知識も増えていきます。しかし、自分の知識で判断することなくリサーチを行ない、裏付けのある事実確認を重ねていきます。時代の変化とともに情報はアップデートされ、自分の知識=最新とは限らないからです。
ひと口に“校正”といっても、注意を払うべきポイントは原稿、状況によりさまざまです。
「“てにをは”が抜けている、漢字が間違っている、字体が違うというように、文字そのものに注意を払わなければならないこともあれば、言葉やデータの関係性、整合性に気を配らなければならないこともあります。
いくつもの視点で原稿と向き合い、不備に気づく集中力を、原稿の最初の一字から最後の一字まで維持しないといけない、それが一番大変ですね。原稿がたとえ何十万字あろうとも、どこに不備があるか、事前に知る術はありませんから」
時間をかけて原稿を読み解き、調べ、フィードバックをする……しかし、その提案のすべてが原稿に反映されるわけではありません。事実、大西さんが校正した原稿を見ると、修正を指示する赤字よりも、確認を促す書き込みのほうが圧倒的に多いことがわかります。校正者が勝手に原稿を直すことはなく、判断し決定できるのは著者、編集者。校正者はあくまで提案をするにとどまります。
「校正者は“間違いを正す人”というように思われがちですが、僕は書き手が“本当はこう言いたかったんだ”という言葉を探すお手伝いをすることだと思っています。言葉にとって一番いい状態、言葉自体がそうありたいと願う方向に後押しをしていくだけです。
その本、その作品にふさわしい言葉を考えていくと、表記、表現も一冊ごとに変わってきます。枠に当てはめるような杓子定規な校正は、校正者の自己満足に過ぎず、重箱の隅ばかり突いて、全体を見失うことも避けなくてはなりません。
言葉が自由に、好きなところに飛び立てるように力づけること。それが校正の役割だと考えています」
校正は正しく機能すればするほど、その痕跡は原稿から消えていきます。
一方、一字でも見落とせば、それは白いシャツについたシミのように際立ちます。
原稿が十全な姿であるために、大西さんは目の前の一字一字に向き合いつづけているのです。
「報われない仕事だと思ったこともあります。それでも校正を続けているのは、原稿が校正を重ねるごとにブラッシュアップされ、よりよい表現、正確な内容になり、一冊の本が生まれる、その現場に立ち会えるからです。
僕のようなフリーランスの校正者が関われるのは、本作りの長い工程のなかのごく一部に過ぎません。それでもチームの一員として貢献できたことがなによりもうれしいんですよね」
Acrobat+PDFで効率化する校正の現場
赤ペンと黒鉛筆を使い分け、紙の校正紙に疑問点や確認のチェックを書き入れる……そんなアナログなイメージが強い校正作業ですが、大西さんは早くからデジタル化に取り組んでいます。iPad上のAcrobatで原稿を読み、PDFに直接校正を入れるスタイルには、紙にはない多くのメリットがあるそうです。
「AcrobatとPDFは、読む、調べる、書き込むという3つの段階で使っています。
長い小説の場合、何度も繰り返し読むことになるのですが、最初の基本的な“読み”をまずPDFで行ない、気になるところにマーカーをつけておきます。原稿を最後まで読んだら頭に戻り、マーカーをひとつずつ確認していくのですが、このとき、気になる言葉があれば、Acrobatからテキストをコピーして、辞書アプリやwebブラウザで調べていきます。そこで、修正を要する点や確認をお願いしたい点、表現の提案をする場合には、PDFに直接、校正を書き込むというのが、Acrobat+PDFを使った校正の流れになります」
「紙のゲラでは不鮮明になりがちな写真や図版も、PDFならもとのデータのままクリアに見られますし、拡大してディテールを確認することもできる。紙の校正刷りでは赤字を入れにくい写真の上、色地の上にもわかりやすく、見やすく文字や線を書き入れられるのも、PDF校正ならではのメリットです。
用字用語や表記統一も、Acrobatを使ってPDF内を検索すれば、すばやく、網羅的に調べられるようになりました。手作業でリストを作って目視で確認していた頃から比べると見落としもなくなり、ものすごく楽になりました」
Acrobatにはコメント・注釈機能も用意されていますが、大西さんはあえて紙の校正紙と同じように、校正記号を使用しています。
「校正はそのページを見た瞬間に、どこにチェックが入っているかがひと目でわかることが重要だと考えているからです。校正を入れるほうも気持ちがいいですし、受け取る編集者もデータを修正するオペレーターも、校正者のチェックがわかりやすく目に入る。お互いにストレスがなくなったと思います。
検索して表記の揺れを調べるなど、機械的に処理できる作業はツールを頼り、事実関係の確認や文章の整合性、表現の適切さといった機械化できない作業、人がやるべき作業に時間とエネルギーを割けるようになったこと。それが校正実務で一番、デジタル化の恩恵を受けている部分です」
ひと目で伝わるアナログ的なコミュニケーションは残しながら、デジタルのメリットをフル活用する。デジタル化により、大西さんの校正は大幅に効率化するとともに、言葉と向き合う時間を増やすことにもつながっているのです。
編集からInDesignによる組版まで。ひとり出版社としての顔
校正者として知られる大西さんにはもうひとつの顔があります。
大西さんのwebサイトに「本づくりと校正のぼっと舎」とあるように、“ひとり出版社”として、編集、校正、組版を行なっているのです。
「学生時代から本を作りたくて、同人誌を作ったりしてきました。でも、印刷会社に頼むのもお金がかかりますし、活字の本というのは高嶺の花、誰でも手の届くものではなかったんです。1980年代にワープロ専用機が出てからは、ワープロで本文を組み、レタリングの見本帳からコピーして文字を切り貼りしてタイトルをつける……アナログの極みのような方法で本づくりをしていましたね。
Macが登場して、パソコンで文字の入力からレイアウト、そして印刷までできるようになったことは、自分にとって画期的なことでした。印刷会社に頼まなくても、自分でもそれに近いことができる。それが何よりもうれしかった」
そう話す大西さんは、1996年、Macintosh Performa 5320とともにAdobe Photoshop、Adobe Illustrator、QuarkXPressを導入。ほぼ独学でDTPの知識を身につけていきました。2年後の1998年には「ぼっと舎」を設立し、それまでの校正業務に加え、自費出版のサポートをする事業をスタートします。
「ゆくゆくは校正に加えて、DTPを仕事にできないかという思いもありましたが、それ以上に自分にとってのテーマであり、ライフワークでもある本づくりを、より具体的に実現できることに魅力を感じていました。
校正の仕事は完全に受け身で、作りたい本の校正ができるわけでもありません。そうした仕事を日々続けていると、反動で“自由に本が作りたい”という気持ちがどんどん湧き上がってくるんですね(笑)。自分で編集をして、組版をして、本を好きなように作りたくなってくる。
ただ、それでもビジネスとして出版を始めようとは思いませんでした。商業ベースの出版は、採算や売上に縛られてしまい、自由に本が作れるわけではありませんから。
“本を作りたい人が好きなように本を作る”……その自由はそのままにしておきたい。それが自費出版の制作を請け負う仕事を始めたきっかけです」
2003年にはページレイアウトソフトにAdobe InDesignも導入。いまや、ワープロ代わりに依頼原稿の執筆やセミナースライド作成にも使うほど、大西さん愛用のツールになっています。
「2007年にInDesign CS3が出たタイミングでQuarkXPressからInDesignに全面的に切り替えました。多くの現場でQuarkXPressからInDesignへの切り替えが進んでいるなかで、慣れ親しんだQuarkの軽快さは捨てがたかったのですが、グリッドベースの組版、OpenTypeフォントの機能をフルに使えるなど、移行のメリットは大きかった。ベタ組みの文章がきれいに組めるようになり、使える字形も圧倒的に増えました。
いまは校正の仕事がメインではありますが、組版作業も好きなので、そうした仕事もあればうれしいですね。校正と組版、ふたつの作業を有機的につなぐような方法はまだ確立できていませんが、うまくリンクさせることができれば、工程をひとつ省くこともできるのではないかとも考えています」
校正者としての側面が際立つ大西さんですが、ライフワークとしての本づくりはいまなお進行中です。
「制作中のもの、計画中のもの。合わせれば数冊ありますが、いま取り組んでいるのは僕の父と母の本です。
大工の棟梁をしていた父は一線を引いたあと、仏像彫刻を始めました。家には40体くらいの仏像があり、父が元気なうちに写真集としてまとめたいと思っていたのですが、2020年に亡くなってしまったんですね。母は母で10年ぐらい前から川柳の教室に通うようになり、書きためたものがたくさんあるんです。父の仏像と母の川柳、このふたつを二部構成でまとめた本をいま作っています」
この本はふたりを知る人に手渡しされるもので、売るためのものではありません。
ふたりの痕跡を本というかたちに宿す行為にこそ、大西さんは特別な意味を感じています。大西さんにとって本は、言わば、人が生きる証、生の結晶のようなものなのかもしれません。
「人にはひとりひとり、その人だけの考えがあり、人生の物語があります。
かつて特別な人しか作れなかった本が、誰でも自分だけの本を作れるようになったいま、一人一冊、自分だけの本を持ってもらえたらいいなと考えています。記録として本になれば、その人の想いは何十年、何百年と残すことができますから。
そのとき、本をよりよいかたちにまとめるためには、編集、校正、組版、デザインの各工程でプロの力があったほうがいい。僕はそのお手伝いができたらと思っています」