Photoshop+Substance 3D|浅野いにおさんがテクノロジーで切り拓く漫画の新境地
『素晴らしい世界』『ソラニン』『おやすみプンプン』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(小学館)といった数々の名作を手がけ、2023年3月からは『MUJINA IN TO THE DEEP』を連載中の漫画家・浅野いにおさん。
緻密な設定と巧みな構成をもとに描かれるストーリーは、コミカルなものから叙情的なものまで幅広く、ひとつひとつのコマから紡ぎ出されるシーンには、どこか映像的な余韻が漂います。
2010年の「ソラニン」(監督:三木孝浩/主演:宮﨑あおい)に続き、2021年8月に「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ/主演:石川瑠華)、2023年3月には「零落」(監督:竹中直人/主演:斎藤工)が実写映画化されたほか、9年にわたる長期連載作品『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』はアニメ化が決定しており、活躍の幅はますます広がっています。
一作品ごとに新しい世界を切り拓く浅野いにおさんは、デジタルツールをどのように作品制作に活用しているのでしょうか。Adobe Photoshop、Adobe Substance 3Dを導入した経緯から、積極的に新しいテクノロジーを取り入れる、その理由まで伺いました。
浅野いにおさん
苦手なスクリーントーン作業をPhotoshopでデジタル化
浅野いにおさんは1998年にギャグ漫画で漫画家デビューを果たしました。
このとき、浅野さんは高校2年生。Photoshopの使いかたはもちろん、漫画の描きかたもままならない、そんな状況だったと言います。
「デビュー当時は、ペンで枠線や絵を描いてスクリーントーンを貼って原稿を仕上げる、アナログ作画でした。
作画の方法自体もよくわかっていなかったので、“背景は資料を集めて、それを参考に描く”ということすら知らなくて。背景はすべて想像で描いていましたね(笑)」
Photoshopを導入したのは、2002年、『素晴らしい世界』という作品で連載を始めたタイミングでした。そのきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
「高橋しん先生のところで短期間のアシスタントをしていたとき、事務所にPhotoshopが入ったiMacがずらっと並んでいて、そのときはじめて、Photoshopが漫画を描くことにも使えるということを知りました。
ただ、当時はデジタルで漫画を描くこと自体、一般的ではありませんでしたし、僕もパソコンは持っていたものの、Photoshopを買うお金もない。そもそもどうすればPhotoshopを漫画に使えるのか、まったくわかりませんでした」
その後、大学でデザインを専攻した浅野さんはPhotoshopに触れ、少しずつパソコンで絵を描くようになります。Photoshopの機能を試行錯誤するなかで、“漫画作りに使えそうだ”という感触を得たのが、ちょうど連載が始まるタイミングでした。
「最初にデジタルに置き換えたのはスクリーントーンを貼る作業です。僕は漫画のなかでトーンを貼る作業がとにかく苦手で……絵を描くというよりも図工に近い、あの作業をとにかくデジタル化したかったんです。
『素晴らしい世界』の最初の頃は、アナログで描いた原稿をスキャナで読み込み、Photoshopでトーンを貼って出力したものを原稿として編集者に渡すというかたちでしたが、連載を進めるなかで、2003年にはデジタルカメラで撮った写真をPhotoshopで処理して背景に使いはじめ、2004年には「データを出力したもの」ではなく、「原稿データ」を直接データ入稿する方法に変わりました。出力を原稿としてスキャンして印刷していた頃より、印刷も凄くキレイになって。“いままでの粗い印刷はなんだったんだ”って思いましたね(笑)」
Photoshopで作り出す、緻密でリアルな背景を強みに
細部まで再現された緻密な背景描写。それは浅野さんの作品の特徴であり、作品に欠かすことのできない魅力のひとつです。ひとつひとつのコマのなかで展開されるリアルな空間は、読者をより深く、作品の世界へと誘います。
しかし、背景は作品の世界観を形作る重要な要素である一方、それ自体がテーマにはなりにくいもの。浅野さんはなぜ、そこまで背景に力を入れるのでしょうか。
「理由はいくつかあるのですが、ひとつは好きな作家さんが背景に力を入れている方が多く、そうした作品に対する憧れです。
もうひとつは経験の足りない自分がベテランの作家さんに少しでも追いつくためには、普通の方法では追いつけない、まったく別のアプローチが必要だと思ったからです。
Photoshopを活用して写真から緻密な背景を作るというのは、ある種のドーピングのようなものかもしれませんが、デジタルの作画だと、たとえスタッフが少人数でも、生活感のあるリアルな背景が手では描けないレベルで表現可能になるということに気づいてからは、背景を中心にした漫画の描きかたもアリなんじゃないか、と考えるようになりました」
写真をもとに背景を描く……その手法を積極的に取り入れるようになってから、浅野さんはそれまで以上に資料の写真を集めるようになります。
作品を作り続けるなかで、写真のストックは増えていき、以降描かれた漫画に関しては、ほぼすべてのコマの写真が資料として残されていると話します。
「デジタルカメラのスペックが上がったというのも、背景をデジタル化しやすくなった要因のひとつですね。以前は解像度が足りずにパノラマ状に合成するようなこともありましたし、それすら難しいときはデジタルカメラの写真を(製版上取り込まれない)水色でプリントアウトして、その上から描くようなこともありました」
こうした制作スタイルは、技術の進歩によってさらなる進化を遂げることになります。
それが3DCGの導入でした。
「いくら写真を撮りためていても、すべてのコマに対して、欲しい構図が揃うとは限りません。これまでは必要な構図に合わせて、位置関係、場所が違う写真を組み合わせてみたり、応急処置のように対処していたのですが、その作業自体がストレスになってきて。写真から描くことに、不自由さを感じるようになったんです。
もし、背景を3DCGにすることができれば、どんな構図でも作ることができますし、何より人が撮れない写真、たとえば空から見た街のような背景も再現することができる。その自由度を考えると、自分のなかで3DCGを導入したのは必然の流れでした」
Photoshop上に貼り込まれた3DCG画像は、“レタッチ”によって漫画原稿へと変化する
3DCGの導入が表現・演出にも変化をもたらす
3Dモデルへのテクスチャリングに使用しているAdobe Substance 3D
現在、浅野さんの作品ではほぼすべての背景が3DCGベースで作られています。
Blenderによるモデリング、Adobe Substance 3Dによるテクスチャリング、Unreal Engineによるレイアウト、ライティング、撮影……そうして描き出された3CDGは、Photoshopにより漫画原稿へと組み込まれていきます。
なかでもモデリング、テクスチャリングに関しては、その作業のすべてを浅野さん自身が行なっているというのは驚嘆するよりありません。
浅野さんはこうした3DCGのスキルをどのように身につけていったのでしょうか。
「3Dを背景制作に活かせないかと考えはじめた10年くらい前に、3D専用のスタッフを雇い、少しずつ、一緒に勉強を始めました。
まずは新宿駅前のビル群を再現してみようと考えたのですが、ひとつのビルを作るのに一ヶ月かかっていては仕事には使えませんよね。どのくらい作り込めば漫画の背景素材として妥当か、その匙加減を僕が決め、作った3DCG素材を連載でも少しずつ取り入れるようになりました。
2022年に『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(小学館)が完結したとき、自分一人でどこまで街を作れるか、気が済むまで試してみようと思い、半年くらいかけてモデリングから取り組みました。本格的に3DCGを取り入れるようになったのはそれからですね」
このとき作った3Dモデルが使われているのが、いま連載している『MUJINA IN TO THE DEEP』。
ビル屋上から街を見下ろす様子をさらに上から描いたシーンは、3DCGをフル活用したからこそ実現した構図といえます。
「僕はデジタルツールの進化をなるべく取り入れて、それに合わせた絵柄を模索することが、新しい作品を作るモチベーションにもなっています。
たとえば、背景をCGにしたことで線のアウトプットが変わるのなら、キャラクターもそれに合わせて線を変えてみようかと思いますし、背景のコントラストが強いなら、キャラクターの影も斜線ではなくベタで表現しようと変えていく。言わば、逆算的な作りかたで絵柄が決まることがあるんです。
道具を変えることで、これまでにはないものが描くことができる。今描いている『MUJINA IN TO THE DEEP』はその影響が強いですね」
浅野さんがデジタルツールを積極的に導入する理由。それは、作画の効率化以上に、新たな作品を生み出すきっかけになるからなのです。
「漫画家は仕事として漫画を描く以上、描ける範囲で作品を成立させる必要があります。
仮に3DCGを使わず、すべての背景を手書きで描かなくてはいけないとなったら、時間的、技術的な制約で描けない構図も出てくるでしょう。そうすると、絵柄だけでなく、できあがる漫画自体が変わってしまう可能性もあります。
『MUJINA IN TO THE DEEP』は、3D空間上にどこでもカメラを飛ばせるからこそ描けるアクション漫画だと思っています」
インテリアから小物まで微細に描かれた屋内の3DCGはすべてUnreal Engine上で構築されている
Photoshopによる“レタッチ”で漫画を構築する
デジタルに積極的に取り組む浅野さんですが、キャラクターを含めたすべてをデジタルツールで描くようになったのは、ごく近年のこと。新型コロナウィルスの流行により、スタッフがリモートワークへと変わり、これまでのアナログ作業をお願いすることができなくなったことがきっかけでした。
「それまでにもフルデジタルへの移行を考えなかったわけではありませんが、インクのかすれや紙のにじみといった、アナログでしか描けない表現を捨てきれなかったんです。
ただ、いずれフルデジタルに移行することになるだろうとは思っていたので、Photoshopでアナログの線と同じような質感になるブラシを作ったり、連載途中でデジタルに切り替えても違和感がないかどうか、一コマだけフルデジタルのカットを入れてみたり、準備は進めていて。コロナはフルデジタルに移行する、最終的なきっかけになったという感じですね」
20年以上に渡って、浅野さんの漫画制作を支えているPhotoshop。
使いかたもまた、進化を続けています。
「たとえば、写真をもとに背景を作るとき、最初の頃は、単純に2階調化したものをベースに線を描き足して仕上げるという方法を採っていました。7、8年くらい前からはまずフィルター/アンシャープマスクをかけてから2階調化をすることで、よりきれいにアウトラインを出せるようになり、より漫画らしい背景を作れるようになったんですね。
Photoshopを長く使っているぶん、たとえ普段描かないようなイメージが必要なときでも、もとになる写真素材をどう加工すれば漫画素材として使えるかは、すぐに見当をつけられるようになりました。
たとえば、線にアナログっぽいノイズを加えたいなら、フィルター/水晶をかけて一度線をガタガタにしてから、さらにフィルタ/ダスト&スクラッチをかけて2階調化すればいけるじゃないか、とか。発想が漫画というより、もうレタッチなんですよね(笑)。
自分の手で描いたキャラクターと用意した写真・3DCG素材を、Photoshop上で合体させる。それが僕の漫画の作りかたであり、そうした作りかたができるのはPhotoshopならではじゃないかと思います」
Photoshopを使い、3DCGを原稿へと加工していく
写真やCGを背景に変えるノウハウは、浅野さんのなかで完成の域に達しており、手描きなら数時間、もしくは手では描けないレベルの背景がいまや5分、10分で終わることもあると話します。
Adobe Stockから素材を探すときも、漫画素材に加工しやすいかどうかが、セレクトのポイントになっています。
「Adobe Stockは、洋服になにか柄を入れたいときや、汚れたテクスチャがほしいとき、わざわざモデリングする必要のない、そのコマにしか使わないような素材がほしいときによく利用していて、購入した素材はPhotoshopのライブラリでまとめて管理しています。
選ぶ段階で、最終的に漫画の絵として落とし込めるかどうかを判断しているので、セレクトから実際に原稿に落とし込むまでの作業もスムーズです」
漫画専用アプリもあるなか、浅野さんがPhotoshopを使い続ける、その理由はどこにあるのでしょうか。
「最初に触ったペイントアプリがPhotoshopだから、操作に慣れているということもありますが、それ以上に本来レタッチソフトであるPhotoshopを使って、なかば無理矢理に漫画を描いているというところに自分ならではの個性があるとも思っているんです。
漫画はそもそも専用の道具が存在しなかったところから始まって、デザイン用具、製図用具のなかから使いやすいものが漫画用具として採用されるようになりました。
僕がPhotoshopを使い続けるのも同じで、漫画用に用意された道具を使うのではなく、自分にとって使いやすい道具(Photoshop)を自分なりの工夫で使って原稿を組み立てる……そのやりかたが自分のなかに染み付いているし、自分だけの手法を編み出していくことがPhotoshopに対する愛着にもつながっているんですよね」
Photoshopの操作画面。右上は「ナビゲーター」パネルやAdobe Stock素材が収納された「CCライブラリ」パネルを切り替えて使用している
技術の進化が切り拓く、漫画の新たな可能性
Photoshopと3DCGの導入によって、漫画制作はどのように変わったのか、そしてこの先どう変わろうとしているのか。あらためて浅野さんに聞きました。
「トータルで見ると、限られた時間のなかで一人で作れるクオリティは、フルデジタル化によって飛躍的に上がったと思います。技術の導入によって浮いた時間は、資料収集やモデリングのような別の作業に充てているので、過去と比べると時間の使いかたも大きく変わりましたね」
「漫画の絵は本当に特殊で、同じキャラクターを何千回と描き、同じシーンでも角度、視点が変わればその都度、描く必要があります。
Photoshopや3DCGのようなデジタル技術によってそこを解決できるのなら、“描く時間がないから”と諦めざるを得なかったシーンも描けるようになる。演出の選択肢も広がり、いままでに見たことがないような漫画が描ける可能性がある。そう思っています」
浅野いにお
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*Photoshopによる作画メインキングはYouTubeで視聴可能