井筒啓之「Adobe Frescoはアイデア出しやラフスケッチのパートナー」Adobe Fresco Creative Relay 45
まるでキャンパスに描いているかのようなタッチと表現力をもつ、アドビのペインティングツール・Adobe Fresco。そのリアルな描き味はプロフェッショナルのニーズにも的確に応える、高度な描画機能を備えています。
アナログならではの自由で質感のある表現と、いつでも描き直せる/レイヤーが使える/色調整もできるというデジタルならではの強み。Adobe Frescoは、そのアナログとデジタル、双方のメリットを併せ持ったツールということができるでしょう。
Adobe IDさえあれば無料で使えるので、デジタルイラスト初心者にも最適。ビギナーからプロのイラストレータまで、幅広く活用することができます。
クリエイターはいまAdobe Frescoをどのように使いこなしているのか、その背景も含めてインタビューする連載「Adobe Fresco Creative Relay」、第45回はイラストレーター・井筒啓之さんに登場いただきました。
きらきらとハートを振りまく、ポップでキュートな女の子
「バレンタインデーが近いということもあり、“ハート”をテーマにきらきらした女の子を描きました。
普段の僕の仕事を見てくれている人からすると、今回のイラストは意外に思われたかもしれませんが、ここ一、二年は周りから思われている“井筒啓之らしい絵”から脱出したいと思っていて。こうして自由に描くチャンスがあるなら、自分が好きな方向で描いてみたいと思ったんです」
マンガ家を目指し、アニメーターを経てイラストの道へ
ガッシュで彩られた井筒啓之さんの絵は、クール、モダン、洗練、おしゃれ、都会的……そうした言葉がよく似合います。それに対して、今回のイラストはとことんキュート。井筒さんがいま、こうした絵を描くのはなぜなのでしょうか。井筒さんのこれまでを紐解きながら、その理由を探ります。
「2000年代、リクルートのクリエイションギャラリーG8とガーディアン・ガーデンでは、毎年年末にクリエイターが参加するチャリティイベントが開催されていたのですが、僕は何度か、マンガのような絵を出して出品したことがありました。
普段とはまったく違う僕の絵を見て、ギャラリーのトップからは“井筒さんは何をしているの?”と言われてしまった。でも、仕事では封印していただけで、僕はずっとマンガを描きたかったんです」
クリエイションギャラリー G8で開催されたチャリティイベント出品作品
左:'07年末チャリティー企画 290人のクリエイターによるオリジナルカップ&ソーサー展「お茶にしませんか?」(2007)/右:クリエイションギャラリーG8 開設20周年記念チャリティー企画 270人のクリエイターによるオリジナルジーンズ展「JEANS SHOP GINZA」(2005)
井筒さんとマンガ……一見、接点はないように思えますが、実は井筒さんが幼少期から抱いていた夢、目標のひとつが“マンガを描くこと”でした。
「僕は子どもの頃から、マンガ家になりたいと思っていました。だた、絵を描くことは好きだったものの、高校のころになると“マンガ家になるのは難しいかもしれないな”と感じるようになって。高校卒業後は少し方向性を変え、アニメーションの学校に通うことにしました」
『baillie gifford trust magazine』のためのイラストレーション(2023)
アニメーションの学校を終えた井筒さんは、制作会社にアニメーターとして就職。ここで『はじめ人間ギャートルズ』(1974-75)や『小さなバイキングビッケ』(1972-74)、『ラ・セーヌの星』(1975)といった有名作品に関わることになります。
「いまでこそ、マンガもアニメも万人に受け入れられるものになりましたが、当時はまだ、アニメは子どものためのもの、一部のオタクのためのものと思われていました。仕事を続けているうちに、その空気が嫌になってしまったんです。
その仕事を辞めたあと、次に目指した職業がイラストレーターでした。
ただ、イラストレーションの世界でも、アニメやマンガの匂いがするものは下に見られ、仕事として評価される時代ではありませんでしたから、それまで培ってきたタッチは完全に封印したんです」
このとき、井筒さんが封印していたもの。それは修練を重ねてきた絵のタッチのみならず、幼少期から胸の内で膨らみ続けてきた、マンガへの情熱だったのかもしれません。
「ただそれでもマンガを描きたいという想いはどこかにあったんです。
時代が変わり、イラストレーターとして経験を重ねるなかで、日本のマンガがカルチャーとして世界に浸透しているいまなら、“自分の中のマンガ”をもっと表に出していいんじゃないか。少しずつそう考えるようになりました」
チャリティイベントで描いたマンガタッチのイラストは、井筒さんが長年描きたかった絵そのもの。
周りからは意外に思われても、井筒さんのなかで、その表現はごく身近なものだったのです。
左:綿矢りさ『かわいそうだね?』フランス語版『PAUVRE PETITE CHOSE』(Philippe Picquier)のためのイラストレーション(2015)
右:The earth is forever. *この絵は society6 でプリントやTシャツ、スマホケースを購入可能
イラストレーターへの道を歩み始めた頃の井筒さんに話を戻しましょう。
webもSNSもない時代、営業といえば、出版社や制作会社への持ち込みのみ。
ツテもコネもないなかで、雑誌などのカットイラストを描くところから、イラストレーターとしてのキャリアはスタートしました。
「◯◯さん風に描いてほしいというような依頼もありましたね(笑)。当時は有名になりたい、こうなりたいというような目標があったわけではなく、食べてさえいければいいと思っていたので、特に不満を抱くことはありませんでした。
ただ、イラストレーターはアニメーターと違って、何枚、何十枚と描く必要もない。一枚描けばいいんだから楽だろう……そんな都合のいい考えは、すぐに打ち砕かれました。世の中で活躍するイラストレーターの作品を眺め、“こんな人たちのなかでやっていかないといけないのか”と考えるだけで足がすくむ思いでした」
『イラストレーション』誌のチョイスや日本グラフィック展、日本イラストレーション展等のコンペティションに応募するなかで入選・入賞を果たし、次の仕事へとつながっていく一方、徐々に“自分には足りないもの”を感じるようになります。
「イラストレーションの世界は当時、日比野克彦さん、中村幸子さん、谷口康彦(広樹)さんといった錚々たるイラストレーターが一気に出てくる。そんな時代でした。
そうした人たちのに評価が集まる一方、自分には彼らのようなアート性のあるイラストは描けないと思った。その悩みを友人に相談したところ、セツ・モードセミナーを勧められて。自分を変えたい一心で入学を決めました」
左:講談社文庫・浅田次郎『地下鉄に乗って』(講談社)のためのイラストレーション
右:Portrait of novelist of Japan(in the 20th century)シリーズより 太宰治
セツ・モードセミナーは、ファッションイラストレーターの草分けとも言える長沢節さんが創設した学校で、著名なイラストレーターを数多く輩出してきた歴史を持ちます。ここでの学びは、井筒さんのスタイルを決める大きな指針となりました。
「長沢先生に一番に指摘されたのは、僕の絵は“人に媚びている絵”ということでした。“きれいな女性をきれいな色で描き、はい、きれいでしょう?と言わんばかりの絵しか描かないのか”と。
長沢先生は、決してきれいとは思えない色を組み合わせて、美しい一枚の絵を構成するのがおもしろい……そういう教えかたをする人で、そのマインドを2年間、徹底的に叩き込まれました。一番変わったのは色使いですね。セツに入る前はピュアな色ばかりを使っていて、グレイッシュな色なんて使うことはありませんでしたから。
セツ・モードセミナーに入ったことで、僕はイラストレーターとしての人生が変わった。そう思っています」
セツ・モードセミナーを経た井筒さんは、仕事を通して自身のスキルアップを実感。
仕事のフィールドは出版だけでなく、広告、パッケージ等広がっていき、着実にキャリアを積み上げていきました。
朝日新聞 夕刊に連載、のちに『新潮』で完結した柳美里さんの小説『8月の果て』のためのイラストレーション。くすんだ色、暗い色を使いながら、さまざまなタッチで描き続けたこの仕事は、井筒さんにとってのターニングポイントとなった
アナログ→デジタルで仕上げるハイブリッドな制作スタイル
仕事ではガッシュをメインにイラストを描く井筒さん。
納品は原画で行なうのかというとそうではなく、ほぼ100%、データでの納品だと言います。
「いまはガッシュで描いた絵も、最終的にPhotoshopで調整して納品しています。
描いた絵を原画ではなくデータにして渡すようになったのは、2005年くらいでしょうか。
新聞小説の挿絵を描いていると、毎日毎日、バイク便が原稿を撮りに来るんですね。それならもうデータで受け渡しをしましょうと。
そのときすでにAdobe Photoshopは使っていましたが、当時はまだスタンプツールでゴミを消すとか、モノクロ原稿の白と黒をはっきりさせるとか、その程度の処理でした。
ただ、Photoshopでデータを扱う機会が増えるうちに、Photoshopでも色を塗るようになり、少しずつ、アナログで描き、デジタルで仕上げる、ハイブリッドな制作方法へと変わっていきました」
現在では、Photoshopで加工することを前提に、どこまでをアナログで描き、どこをPhotoshopで描くか。そうした計算のうえで、イラストを描いているそう。まさにアナログのタッチとデジタルのメリットを組み合わせた制作のスタイルへと進化しています。
井筒さんの制作環境。机はふたつあり、ひとつはアナログ用、もうひとつはデジタル用と使い分けている
アナログで描くイラストレーターにとって、原画こそ唯一無二のもの。色もそれに合わせて印刷すべし……クリエイティブの現場にいる人なら、誰しもがそう考えてしまいますが、井筒さんの考えかたは柔軟です。
「『山と高原地図』の仕事をしたとき、イラストを長く使ってもらえるのなら、色の確認ができたほうがいいだろうと思い、データで納品した後で原画を送ったんです。そうしたら現場では“この色は特色を使わないと出せない”と大袈裟なことになってしまった。
僕は原画なら原画で、画面なら画面で、印刷なら印刷で、それぞれできれいに見えているのなら、それでいいんです。必ずしも原画通りでなくてもかまいません。いまでは、自分の絵は自分の事務所のディスプレイで見るのが一番きれいだと思っているくらいですから(笑)」
『山と高原地図』(昭文社)のためのイラストレーション
使い慣れたAdobe Frescoで原点に戻って描く
Adobe Frescoはリリース当初から使っているという井筒さん。
物は試しと、仕事で描く絵にAdobe Frescoを使ったこともあるそうですが、いまはおもに自宅や外出先でアイデアを出したり、ラフスケッチを描くときに使っていると話します。
手元に紙があるときは紙に、ないときはAdobe Frescoで。好きなときに、好きな場所で描けるiPad+Adobe Frescoは、井筒さんにとって生活の一部になっています。
クラウド上に残る日々描き続けるラフスケッチ
Adobe Frescoで描かれた作品(中央上:小説現代「この世が壊れないように」のためのイラストレーション)
井筒さんにとってはもはや慣れ親しんだツールとなっているAdobe Frescoですが、今回のイラストはこれまでとは大きく異なるアプローチで描かれています。
「Photoshop、Adobe Frescoとデジタルツールを使うなかで、どうしても自然とデジタル的な手際のよさのようなものが染みついてしまっているんですね。ここは一気に塗ってしまおう、髪は調整しやすいように別レイヤーにしよう……普段意識していないだけで、アナログではできない機能をいろいろ使って描いています。
今回、あらためてAdobe Frescoで作品を描くにあたっては、そうしたことを忘れて描こうと思いました。自分が子どもの頃に描いていたマンガのような描きかたをしてみようと」
そうして描かれたイラストの細部からは、きれいにまとまりすぎない、アナログ感のある筆致を感じることができます。それは、デジタルのメリットを捨て、原点に立ち戻って描いた絵とも言えるのではないでしょうか。
InstagramのようなSNSから、Adobe Behanceのようなポートフォリオサイト、society6のような自身の絵をもとにアートプリントやグッズプリントにするサービスまで、さまざまなフィールドで積極的に情報発信を行なっているのも対応力豊かな井筒さんならでは。その理由はどこにあるのでしょうか。
「単純にそうしたSNSやサービスを通じて交流することが好きなんです。
これまで描いた絵をもとにプリントやグッズを作れるようにしているのは、依頼された仕事を受けることだけがイラストレーターの道ではないということを、これからの世代に伝えたいと思っていて。自由に絵を描き、それで生活ができるのなら、イラストレーターとしてこれほど幸せなことはありませんから」
「イラストレーション青山塾」第26期の受講生募集中
「イラストレーション青山塾」 は1998年に開講したイラストレーションスクールで、これまでにおよそ1,800名が参加。井筒さんをはじめ、第一線で活躍するイラストレーター、デザイナー、ブックデザイナーが講師を務め、現場の経験、知識をもとにイラストを指導しています。
「ベーシック科」「ドローイング科」「イラストレーション科」の3つのコースがあり、井筒さんは講師だけでなく、ベーシック科とドローイング科の担任も務めています。
現在、「イラストレーション青山塾」では2024年4月に開講される第26期の受講生を募集中。イラストレーターを目指す人、イラストレーターとしてのスキルを高めたい人、デザインとイラストの現場に触れたい人はもちろん、井筒さんの指導を受けられるまたとないチャンスでもあります。気になる人はぜひwebでチェックを。
イラストレーション青山塾……https://aoyamajuku.jp/
井筒啓之
web|https://hiroyukiizutsu.com/
Facebook|https://www.facebook.com/izutsuhiroyuki1955
X(Twitter)|https://twitter.com/izu2
Instagram|https://www.instagram.com/hiroyukiizutsu/
Pinterest|https://www.pinterest.jp/izutsuhiroyuki/_saved/
flickr|https://www.flickr.com/photos/izutsuhiroyuki/
Behance|https://www.behance.net/izutsu
Tumblr|https://izutsuhiroyuki.tumblr.com/
Society6|https://society6.com/hiroyukiizutsu