AIでレタッチ&グラフィックデザインの現場はどう変わるのか|こびとのくつ+SHA inc.インタビュー
灯りきらめく都市の夜景、流氷が埋め尽くす氷河、極彩色の湖や水辺、パラソルで彩られる砂浜、砂に埋め尽くされた荒野、幾何学的に構成された広大な小麦畑や耕作地……これらはいずれも、Adobe Stockにあるリアルな写真素材から、AI技術とPhotoshopを使って生み出された、架空の景色。
Adobe Stockなどのストック素材にある“どこにでもあるような写真”をもとにインスピレーションを広げ、そのひとつひとつを手作業で組み上げることでつくられています。
右上から時計回りに、竹林一茂さん、伊佐奈月さん、工藤美樹さん、渡邊晃己さん
AIがもたらすクリエイティブの変化とは
2024年5月からアドビが展開している8枚のビジュアルシリーズを手がけたのは、Photoshopを駆使し、レタッチという枠に収まらないクリエイティブワークを展開する こびとのくつ株式会社と、広告を中心に幅広いビジュアルコミュニケーションを手がける株式会社 SHA inc.(シア インク)のチームです。
AIはクリエイティブにどのような変化をもたらすのか、そして私たちはいま、AIとどのように向き合えばいいのか。プロジェクトメンバー・4名に話を伺いました。
- 工藤美樹さん(こびとのくつ|代表|フォトレタッチャー・ビジュアルテクノロジスト)
- 竹林一茂さん(SHA inc.|代表|アートディレクター・デザイナー)
- 伊佐奈月さん(SHA inc.|アートディレクター・デザイナー)
- 渡邊晃己さん(SHA inc.|デザイナー)
フォトレタッチの現場で稼働するAI
AI=人工知能を活用したサービスはいま、私たちの日常に深く浸透しています。竹林さんはニュースサイトの要約に、伊佐さんは海外とのコミュニケーションのための翻訳に、日々、AIサービスを活用していると言います。
一方、クリエイティブの現場でAIはどのように活用されているのか。フォトレタッチャーの工藤さんに尋ねました。
工藤「フォトレタッチの世界でAIの恩恵を受けているのは、たとえば解像度の変更、つまりピクセル数を増やす作業です。
同様のサービスは以前からありましたが、これまではピクセル数を増やした後にシャープネスのレベルを調整するくらいのものでした。いまは画像解析をもとにAIがピクセル間の情報を補完し、再構築してくれるので、ピクセル数が少ないデータでも、さまざまな広告素材として使用可能になっています」
工藤美樹さん(こびとのくつ)
こうした技術的な進化は広告、特にOOH(屋外広告)向けのデータ制作にも変化をもたらしています。
工藤「たとえば、ゲーム会社さんが広告を打ちたいというとき、これまでの画面キャプチUnity等で作られた元データでは解像度がまったく足りませんでしたが、画像解析による解像度変更が可能になってからは、印刷解像度でB倍程度の広告もつくれるようになりました。
現在広告は、それ自体の媒体影響力に加え、それを個人が撮影したものがSNSでさらに拡散する時代です。いま大型広告には、携帯画面で見ている写真とは比較にならない、圧倒的なスケールと高解像度が求められてきているように思います。
デジタルカメラの高解像度化、そしてiPhoneの普及と高解像度・高品質な画像の一般化によって、見る側の解像度に対するレベルも上がっていると感じています」
工藤「今回のプロジェクトもこうしたAIによる画像拡大技術を前提としていて、作成した画像はすべて、Adobe Stockなどから集めた航空写真をAIを通して解析し、6倍のサイズまで拡張しました。その素材をもとにビジュアルを構成をすることで、ポスターサイズの印刷にも耐えうる解像度を実現しています」
無数の素材によって描き出される圧倒的なディテールは、どこまで拡大してもクリアなまま。そのビジュアルを支えているのは工藤さんの卓越した技量と確かな目、そしてAIによるサポートなのです。
ビーチを埋め尽くす人、人、人……そのすべてがひとりずつ、レイヤー単位で構成されている
グラフィックデザインの現場で稼働するAI
AIが活躍するのは写真、映像分野だけではありません。グラフィックデザインの現場でも、AIはクリエイティブにおけるさまざまな作業をサポートしています。
その一例が画像内に含まれる人物等を自動的に認識し、ワンクリックで選択状態にできるPhotoshopの「被写体を選択」や「オブジェクト選択ツール」といったAIツールです。デザインワークでは必須の切り抜き作業を大幅に効率化しています。
竹林「いまのPhotoshopの切り抜き機能は本当に感動するくらい高精度です。
『被写体を選択』のようなAI機能が搭載される前に、Photoshopで80人近い人物の切り抜きをしなければならないことがあったのですが、一人ひとりに対してパスを切り、髪の毛をマスクする……地道な作業をただひたすらに続けなくてはいけませんでした。当時、徹夜して切り抜いた手間を思うと、“あの苦労はなんだったんだ”というくらい、いまの切り抜きは簡単ですよね。
予算や時間の都合もあり、写真の切り抜きをデザイナーが担当するケースは非常に増えているので、こうした機能の進化は非常にありがたいと思っています」
竹林一茂さん(SHA inc.)
工藤「Photoshopの『被写体を選択』や『空を選択』機能は私たちもよく使っていますが、本当にきれいにマスクがつくれますよね。髪の毛やファー(毛皮)もしっかり選択してくれますし、バージョンを追うごとにその精度は高まっていると感じます。
最初にまずこの機能を使っておおまかな選択範囲をつくり、納得のいかない部分をちょっとずつ修正していく。これだけで十分な品質のマスクをつくることができます」
Photoshop「被写体を選択」→レイヤーマスクによる切り抜き例
工藤「こうした機能が搭載されたことで、マスク作成の工程自体も変わりました。たとえば、われわれプロのレタッチャーは、マスクの中にも空間や奥行きを感じられるよう配慮するくらい、マスクというものを大切にし修行のように鍛錬しますが、そうした経験と技術の蓄積を凌駕するくらいの精度とインパクトが、AI系切り抜き機能にはあると思います。
こびとのくつでは以前、新入社員の仕事といえば、ひたすらマスクを切ることでした。その作業に耐え続けることができるかどうかが、言わばレタッチャーとしての通過儀礼でもあったのですが、いまはこうした機能でほとんどできてしまいますから、マスクの重要性は踏まえつつも、もっと表現や絵としての魅力を深めることに時間と気持ちを向けることができるようになり、それはとてもすばらしいことだと感じています」
工藤さんが扱うPhotoshopのブラシパネルには数多くのオリジナルブラシが並ぶ
工藤「AI機能が進化しても、私たちの仕事がなくならないと思えるのは、“その機能だけでは完全ではない”とわかっているからです。
マスク作成に限らず、ひとつの操作で80点まで行けるなら一般のレベルでは十分ですし、残りの20点に何が不足しているのかがわかるからこそ、プロなんです。この20点の部分に自分たちの活躍の場はあると思っていますし、AIには見えていないけれど自分には見えている部分がある。そう思っています。
私たちプロから見れば、ボタンひとつで80点取ってくれるなら残りの20点を取りに行けばいい。それだけでも作業はすごく楽になりますから」
生成AIとクリエイティブ
生成AI技術というと、「プロンプトをもとにあらたな画像を生成する」という側面がフォーカスされがちですが、PhotoshopやIllustratorにはアドビの生成AIエンジン・Adobe Fireflyを使ったさまざまな機能が搭載されています。その一例が画像の足りない部分を生成AIによって補完するPhotoshopの「生成拡張」「生成塗りつぶし」です。
渡邊「Photoshopの『生成拡張』は便利ですね。
たとえばカンプを作成していて、全面で使いたい写真や背景画像がどうしても足りないというとき、これまではコピースタンプツールで引き延ばしたり、別の画像を探したりしていましたが、いまは『生成』ボタンひとつ押すだけで、一瞬で不足部分を補完できる。本当に助かります」
渡邊晃己さん(SHA inc.)
工藤「実はこのプロジェクトでも、最初は生成AIを使えないかと試したことはありましたが、納得できるディティールとデザインが見つけられませんでした」
生成AIを試すなかで工藤さんに芽生えたもうひとつの疑問。
それは、生成される画像の著作権、権利はどうなっているのか、ということでした。
工藤「いまはAdobe Fireflyのように学習元が明確で、商用利用できる生成AIがありますが、当時はAdobe Fireflyが正式リリースされる前。安心して仕事に利用できる生成AIサービスはまだなかったんです。
私たちはプロである以上、権利関係が定かではないものを扱うことはできませんから、“つくっても外に出せないのならどこに使うんだろう?”と思っていました。
いまはアイデアのベースになるビジュアルを生成して、あり/なしの可能性を探る、クライアントが好みそうなコピーを考えてもらう……そうしたことに生成AIを使えないかと思案しています。方向性を探る段階にAIを使い、方向性が決まったものを私たちプロが頭と手を使ってブラッシュアップしていく。これができたら効率的ですよね」
竹林「工藤さんも言うように、ビジュアルの方向性を探るような状況では、生成AIを使った検討は可能だと思います。
ただ、デザインの場合、文字や写真のレイアウトからグラフィック的な要素に至るまで、文脈に基づいた構成、展開が必要になります。
書体は何を選び、言葉をどう伝えるのか。要素をどういった関係性で配置し、どうやって相手の感情を揺り動かすのか……相手の感情に作用する部分はまだ、生成AIでつくるのは難しいんじゃないか。そう感じています」
工藤「生成AIは現状、アメリカが主体となって開発してることもあり、まだ適切なローカライズがされていないように感じます。
たとえば、同じ文字の並びを見ても、日本人とアメリカ人では目にしたときの印象はまったく違うものになると思いますし、漢字をタトゥーにする外国人がいるように、お互いが行き交うことで新鮮に映るものもあるでしょう。どういう人が何に魅力を感じるのか、その価値観を理解せずに最適なアウトプットを導き出すのは難しいですよね。
そう考えると結局、AIによる生成ではなく、日本のデザイナーが日本人の感覚で組んだ文字、つまり文化的な背景に基づいたデザインが、一番響くということはあり得るんじゃないかと。
生成AIが民族と文化にフィットするには、もうしばらく時間がかかるのかもしれませんね」
竹林さんはグラフィックデザインの世界ではまだ、生成AIが活用できる場面は少ないと感じる一方、期待も抱いています。
竹林「カンプづくりやバリエーション制作がAIで効率化できるといいなと思っています。いまはプレゼンで仕上がりに近いカンプを求められるケースが増えていて、カンプ作成の段階からレタッチャーに入ってもらうこともあるんです。
僕たちデザイナーは、これまでの経験から手書きラフが完成した時点で仕上がりのイメージを明確に描くことができます。でもプレゼンのためにはほとんど仕上がりのようなカンプをつくる必要がある……この部分を効率化したいんです。
デザインが進んだ後でも、“ちょっとこうしてみてほしい”といった依頼が来ることは多く、相手から見れば些細な変更に見えても、デザイナーやレタッチャーが手をかけて、バリエーションをつくることもあって。こうした作業をAIが助けてくれると本当にうれしいですね」
伊佐「デザイナーになったばかりの頃は、手書きから仕上がりをイメージすることができませんから、カンプづくりも重要だったと思っています。でも、10年、20年と経験を積んだ後にもそこに時間を取られるのなら、そこはAIにおまかせして、それ以外の作業に時間を使えたほうがいいですよね」
伊佐奈月さん(SHA inc.)
竹林「近い将来、デザイナーとクライアント双方が生成AIを使うようになったら、デザイナー側は生成されたグラフィックをもとに方向性のすり合わせを行ない、クライアント側は提出されたデザインに対して、修正後のイメージをAIで生成してフィードバックをする、そうしたやりとりも可能になるかもしれませんね」
AIの登場で変わるもの、変わらないもの。
AIの進化は目覚ましく、その予測は私たちの想像を容易に飛び越えていきます。いま、そして未来を見据えたとき、クリエイターの仕事はどう変わっていくのでしょうか。
工藤「絵づくりにおける部分的なプロセス、つまりマスク作成、肌修正、背景調整のような作業についてはAIに置き換えられても、まったく構わないと自分は思っていますし、むしろそれを望んでいます。ただ、“今回の企画はどういう絵を求められてるのか”という部分は、人間が考え、判断すべき部分だと考えています。
たとえば、クライアントから“もうちょっと明るい印象にしてもらえますか”というオーダーが来たとします。そのとき、色相で明るくするのか、明度で明るくするのか、コントラストで明るくするのか、その意味によって結果はまったく異なるものになります。
文脈に沿った絵を最終的なアウトプットとしてどう定着するかを考えたとき、カメラ、レンズ、RAW現像に使うソフトや設定、Photoshopに取り込んだ後に使用するフィルター、ノイズの種類と強さ……レタッチのプロセスには変数が非常に多いんですよ。
その組み合わせによってどういう絵が表現できるのか、経験値と感覚でわかってる人が、AIでつくられたものに演出を加えてアウトプットを出す。この最後の工程が、トップのレタッチャーの仕事になっていくのではないでしょうか。
こうした変化にともなって、作業をする時間以上に、話をする/聞く時間が長くなるでしょう。今回の企画はこうです/目指す絵はこうです/こういう世界観を表現したい/フォトグラファーはどのカメラを使いますか/レンズはどうしますか/カラー、トーンとはどうしますか……こうしたことを細かくヒアリングしたうえで、結果として相手が望むアウトプットをする。
最終的な絵づくりに必要な変数を選びとる選択眼、それを見極める目を持っていることが、レタッチャーに求められる能力になるのではないか、と感じています」
工藤「生成AIがムンクのような絵を描けるようになったとしても、それはあくまで表層にすぎず、ムンクがなぜその色を選び、その構図で描いたのか、なぜその絵を描いたのかという、理由や動機、心情はそこにはありません。
そう考えると、グラフィックデザインの分野でも企画をどういった文脈で捉え、それぞれを具現化していくのか。アウトプット以上にストーリーに価値が生まれるのではないでしょうか」
伊佐「そうですね。ストーリーを大切にする、人間性を大事にするクリエイティブは、AIが進化した未来でも残っていくものだと思っています。
でも、現実的に考えたとき、私たちが神経を使って突き詰めているディテールは、万人が求めているわけでもないとも感じているんです。
パターン化されたデザイン、テンプレート化されたデザインで十分なフィールドはAIによって代替され、世の中にも受け入れられていくでしょう。
ただ、AIによってつくられるクリエイティブは増えていくからこそ、差別化できる部分が必ずあるはずです」
渡邊「AIの登場によってデザインがどう変わっていくのか、予想はまったくできませんが、AIが出たことで生まれる新しいデザインの手法、デザインとの関わりかたがあるはずなので、現状に対して特別な危機感は抱いていません。
ただ、AIによる効率化の過程で自分の意識の及ばない作業が増えたとき、飛ばされた工程にあったはずの本質的な部分を見失わないようにしたいとは思っているんです。
僕はデザインを始めた時点ですでにDTPだったので、写植の時代を知りません。写植時代の広告を見ては、当時のデザイナーの感性の鋭さを感じながらも、本質は理解できていないんだろうなという諦めを感じていました。だから、AIを使うようになっても、手作業でやっていたときの経験、感覚は忘れないようにしたいですね」
工藤「AIはクリエイティブをブラックボックス化する側面がありますよね。そのうち、“マスクってどうやって切るんだっけ”という時代がくるんだと思います。一般化させるために発展した機能が、進化の過程で誰にもわからないものになっていく、そうした逆説的なことが起こってしまう。
またAIの登場によって私たちの環境が、日常の雑務を奴隷にまかせながら、形而上の思索に耽っていたギリシャ時代に戻りつつあるようにも感じるんです。AIによってクリエイターは細かい作業から解放され、より高い次元に進化する。言わば強制進化を後押しされているのではないかと。
“人としていま、何を為すべきなのか”
私たちはいま、AIにその存在意義を問われているのかもしれません」
伊佐「日本の状況とは異なり、海外ではすでにAIを積極的にクリエイティブに活用しています。それは新しいものを受け入れながら変化し続けてきた歴史によるものかもしれませんが、そのポジティブさにうらやましさを感じるところもあるんです。
AIの進化によってデザインはより均一に、フラットなものになっていくかもしれません。でもそれをネガティブに捉えるのではなく、ポジティブに捉えて、その変化のなかで自分は何ができるのかを考えることで、クリエイティブをいい方向に進めていけたらいいですね」
竹林「写真がフィルムからデジタルへと変わり、レイアウトは版下からデータへとかたちを変えました。Macが出てきたときも、当時のデザイナーは“こんな小さな画面で表現なんてできるわけない”と言い放っていましたが、いまやそれが当たり前のものになっています。どの時代にも技術の進化はあり、その変化によって、価値観も移り変わってきましたよね。
AIの登場はパソコンやインターネットの登場に匹敵する大きな変化だと思いますが、倫理観をもとにしっかりとした規定をつくっていけば、今までと同じように共生できると思いますし、よりよい社会のためにAIを活用する道を見出すことはできるんじゃないかと思っています。
正直に言えば、僕もクリエイティブにAIを使うことに一種の恐れを抱いていたんです。ただ、このプロジェクトを通してAIに触れるなかで、“AIを活用することでクリエイティブを楽しみ、ほかの人よりも一歩でも二歩でも先を歩みたい”。そう考えられるようになりました。
割り切って考えてしまえば、クリエイティブにAIを使うかどうかは、あくまでデジタルデータをどうつくるのか、それだけの話です。
AIがこの先いくら進化をしたとしても、人と会って、話して、握手して、ハグをする……そんな人同士の関係性が変わるわけではありませんから」
工藤「私にとって、AIは“仕事を奪うものではなく、別の課題を与えてくれるもの”なんです。
AIを受け入れることで生じる問題があったとしても、それを乗り越えながら新しいクリエイティブを生み出しつづけることで、世界を少しでもよい方向に導くことができる。そう信じています」