画像生成AIの教育活用についての関心が高まっている中、東奥義塾中学校・高等学校 塾長の井上嘉名芽先生が執筆した実践論文「画像生成AIの教育活用に関する一考察」が、2026年3月、日本教育情報学会の学会誌『教育情報研究』41巻2.3号に査読付き論文として掲載されました。論文では、高校「情報Ⅰ」の授業で画像生成AI「Adobe Firefly」を活用し、生徒たちが2045年問題(シンギュラリティ)やAIの社会的影響について多角的に考察する実践が報告されています。
様々な生成AIの教育利用に関する議論が進む一方で、実際の授業実践を学術的な形でまとめた事例はまだそれほど多くはありません。今回の論文掲載は、教育現場での画像生成AI活用を研究的な視点から検証した先行事例としても注目を集めています。井上先生に、論文執筆の経緯や授業実践の内容、そして現在へとつながる取り組みについてお話をうかがいました。
【参考】「画像生成AIの教育活用に関する一考察」井上嘉名芽(『教育情報研究』41 巻 (2025-2026) 2.3 号 p. 55-65)|J-STAGE
「まず自分が探究者でありたい」 論文執筆に込めた想い
今回の論文執筆の出発点は、生徒の探究活動を指導する教員としての問題意識だったといいます。現在は塾長という立場の井上先生ですが、執筆当時は情報科教員として生徒たちと向き合う日々を送っていました。生成AI技術が急速に発展していく中で、「情報科の教員として生徒の探究を指導するには、まず自分自身がもう一度探究する経験をする必要があると感じていました」と井上先生は語ります。
「日々の授業実践は、記録に残さなければ、その場限りで消えてしまいます。実践を記録し、学術論文として客観化することで、他の先生方にも参照してもらえる形にしたい、という思いもありました」また、生徒たちに探究活動の成果として論文形式のレポートを作成させる以上、自分自身も問いを立て、検証し、論文としてまとめるプロセスに真剣に取り組まなければアドバイスやサポートがしづらいと考えた井上先生。
査読付き論文として掲載に至るまでには、学会の審査や指摘を受けて何度も手直しを重ねたため、かなりの時間を要しました。井上先生は「査読者の先生方とのやり取りを通じて、実践を鍛え直す感覚で、そのプロセスそのものが大きな学びになりました」と振り返ります。
画像生成AIで未来を描く。2045年問題を題材にした授業実践
論文で報告された授業実践を実際に行ったのは2024年5月から7月。高校「情報Ⅰ」の授業として全2コマで実施されました。対象となったのは高校1年生162名。授業では2045年問題(シンギュラリティ)をテーマに、Adobe Fireflyを用いて未来社会を表現する画像生成に取り組み、グループワークでのディスカッションを通して未来社会について考えました。
井上先生がテキスト生成AIではなく画像生成AIを選んだ理由は、生成結果が視覚的に分かりやすいから。「テキストだと生徒によって読解の能力が異なるため解釈に差が出やすいのですが、画像であれば生徒が思い描いた通りに出たかどうかがすぐ分かります。思い通りでなければプロンプトを修正して再挑戦する。その試行錯誤の足がかりになりやすいと考えました」。また、Adobe Fireflyを採用した理由については、「著作権侵害のリスクへの配慮がなされていることが、学校で生徒全員が使ううえでは決定的に重要でした」と説明します。
授業は、
①導入: 2045年問題やAI技術について知る
②Adobe Fireflyで未来社会を描く(2045年の社会をテーマに画像生成)
③グループワーク:未来像を共有する(生成した画像をもとにグループディスカッション)
④未来社会の可能性や課題についてグループごとに発表
⑤振り返りと考察・アンケート
という流れで実施されました。
生徒たちはプロンプトを試行錯誤しながら未来社会のイメージを具体化し、2045年問題(シンギュラリティ)について多角的に議論しました。授業後のアンケート結果や生徒の活動記録からは、いくつかの顕著な成果が見られます。井上先生は、この実践の成果を大きく次の3点に整理しています。
- 2045年問題やAI技術への理解を深められたこと
- プロンプトの試行錯誤を通じて主体的かつ自己調整的な学習が実現したこと
- 未来社会の可能性と課題を多面的に考察する力が育成されたこと
井上先生は、画像生成AIによる「可視化」が抽象的なテーマである2045年問題を具体的に捉える助けになったと考察し、さらには生徒の未来社会に対する創造的思考を支援した可能性を指摘しています。
画像生成AIは「思考ツール」。プロンプトの試行錯誤が生んだ深い学び
授業実践でとくに印象的なのは、生徒たちが画像生成AIとの対話を通じて、プロンプトの試行錯誤を重ねながら自ら思考を深めていった点。当初、生徒たちが入力するプロンプトは「2045年の街」「2045年の日本」といった抽象的で漠然としたものが中心でした。しかし、生成された画像が自分のイメージと異なると、生徒たちは「何が足りなかったのか」「どう表現すれば伝わるのか」を考えながらプロンプトを修正し、何度も生成を繰り返しました。井上先生は教室を巡回しながら個別に「その世界では人々はどんな服を着ているの?」「どんな音が聞こえてきそう?」といった問いを投げかけながら、生徒自身が未来社会のイメージを具体化できるよう支援。その結果、「AIが宇宙開発を牽引し人類が新たな惑星に移住する瞬間」や「コンビニエンスストアの従業員が全てロボットである世界」といった、より具体的で解像度の高い未来像へと発想を発展させていったのです。
生徒たちはプロンプトの試行錯誤を通じて、単に画像を生成するだけでなく、「未来社会では何が起こるのか」「人々の暮らしや働き方はどう変わるのか」といった問いに主体的に向き合うように。さらに、生成した画像を持ち寄ったグループディスカッションでは、AIによる仕事の変化や倫理的課題、経済格差、AIとの共生などについて活発な議論が展開されました。
授業後には98%の生徒が2045年問題への理解が深まったと回答し、97%が未来社会を具体的に想像できたと回答しています。画像生成AIは単なる表現ツールにとどまらず、生徒一人ひとりが未来社会を自分事として捉え、試行錯誤しながら考えを深めるための「思考ツール」として機能し、主体的な学びと対話、多面的な考察を促す役割を果たしたのです。
「この授業で生徒の理解を深めたのは、AIの精巧さではありません。思い通りにいかない結果を前に『なぜだろう』と考え、プロンプトを修正してもう一度試す、その試行錯誤そのものでした。プロセスにこそ大きな価値があると思っています」と井上先生は語っています。
論文の実践から生まれた「生成AI活用論」が切り拓く新しい学び
論文執筆後も、井上先生の取り組みは止まることなく、広がり続けています。2025年に塾長に就任した井上先生は、自らの論文での研究成果をベースにして学校全体の教育活動へと発展させました。その象徴が、学校設定科目として新設した「生成AI活用論」です。当初は同校総合コースの高校3年生を対象にスタートしましたが、現在は総合コースの高校1年生から3年生までに拡大され、週1時間の授業として実施されています。
この授業は、生成AIの機能や操作方法を学ぶだけでなく、生成AIを活用しながら、生徒一人ひとりが自ら考え、学び、成長していく力を育むことを目指したもの。そのため、「生成AI活用論」ではAdobe Fireflyをはじめとする画像生成AIに加え、テキスト生成AIや音楽生成AIなども取り上げています。生徒たちは同じプロンプトを複数の生成AIに入力し、その結果を比較することでそれぞれの特徴や得意分野の違いを学んだり、著作権や学習データ、生成物の信頼性といった観点についての考察を行ったりしながら、生成AIと向き合うための実践的な学びが展開されています。
■生徒が自走できる授業設計:AIを「伴走者」として活用する
「生成AI活用論」の大きな特徴の一つが、生徒一人ひとりが主体的に学習できる環境づくりを重視していること。「生成AIは生徒によって習熟度の差が大きいので、全員が同じスピードで進む授業には限界があります」と井上先生。そのため授業は、iPadと配信教材を使って生徒が自分のペースで学びを進められる構成にしているそうです。「生徒がAIを“伴走者”として活用できるような学びのデザインを目指しています。答えをすぐ求めるのではなく、プロンプトの試行錯誤や自己調整学習を重視しています」そう語る井上先生は、AIを単なる“答えを出してくれる便利なツール”としてではなく、学びを支えるパートナーとして位置付けています。
「勉強が苦手な生徒ほど、生成AIを使うとすぐ答えを聞いてしまいます。でも、それでは本当の学びにはなりません」「答えをもらうのではなく、解説してもらったり、自分の考えを整理したりしながら理解を深めていく。そのためのノウハウを身につけることが大切なんです」
教員は一方的に知識を教えるのではなく、生徒が生成AIとの対話を通じて学びを深める中で、必要に応じて支援するスタイルです。「これからは、先生が全てを教えるのではなく、学びを支援するファシリテーターになっていく必要があると思っています」
■教材づくりの工夫:「考えさせる余白」を残す
「生成AI活用論」のもう一つの特徴は、生徒の主体的な学びを支える教材設計です。教材はすべて、井上先生が他の教員の協力を得ながら独自に制作したものを使っています。生成AIの操作方法だけでなく、生成AIの特徴や活用上の注意点、結果を改善するための考え方などが盛り込まれており、生徒が自力で学習を進められるよう工夫されています。
しかし井上先生の教材は、それだけにとどまりません。「生徒に考えさせる余白を残したいんです」という井上先生。教材には、模範解答や正解だけが示されているのではなく、「なぜこの結果になったのか」「どうすればもっと伝わる表現になるのか」といった問いが数多く配置されています。教材が単なるマニュアルではなく、生徒が生成AIとの対話を繰り返しながら、自分自身で問いを立て、試行錯誤し、学びを深めていくための土台となるよう、注意深く設計されているのです。まさに、論文で示された「試行錯誤を通じて思考を深めていく」主体的な学び方を進化・深化させた教育デザインが実現されています。
<課題と生徒たちの作品例>
AI時代の学びをどう創るか。教育の未来を見据えて
井上先生は、生成AIの本質的な価値を“個別最適な学びを支える存在”であると捉えています。「生成AIは、一人ひとりの学びを支える伴走者になり得る存在だと思います」 その一方で、ツールを導入すること自体が目的になってはならないとも強調します。「大事なのはAIを使うことではなく、その過程でどんな学びが生まれるかです」
教育現場で生成AI活用に取り組む先生方へのアドバイスをうかがうと、井上先生は「いちばん伝えたいのは、まず先生自身が触ってみてください、ということです」と強調。さらに「失敗こそが教材になる、これは教員側も同じです」と続けます。「生成AIを『教えるべき新しい内容』と捉えると重くなりますが、生徒の思考を引き出す道具と捉えれば、授業に使いやすくなります。教員の仕事は、『答えを与えること』から『良い問いを投げかけること』へと移り変わってきていると思います。完璧に準備できるまで待つよりも、小さく始めて生徒と一緒に学ぶ。その教員の姿勢自体が、AI時代を生きる生徒たちへの何よりのメッセージになると信じています」
「とにかくあまり気負わずに、まずは生徒と一緒にやってみるのがいいんじゃないですかね」とほほ笑む井上先生。査読付き論文としてまとめられた画像生成AIを活用した一つの授業実践は、いまや学校設定科目の開設や学校全体の学びの発展へとつながっています。井上先生の挑戦は、生成AI時代に求められる新しい学びのあり方を考える上で、多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。